中馬辰猪
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中馬 辰猪 ちゅうまん たつい | |
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生年月日 | 1916年2月27日 |
出生地 | 日本 鹿児島県霧島市国分 |
没年月日 | 2010年4月18日(94歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部 |
前職 |
陸軍主計大尉 水産会社役員 鹿児島県煙草耕作連嘱託 |
所属政党 |
(民主自由党→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
親族 | 中馬猪之吉(父) |
第39代 建設大臣 | |
内閣 | 三木改造内閣 |
在任期間 | 1976年9月15日 - 1976年12月24日 |
選挙区 | 旧鹿児島2区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 |
1949年1月23日 - 1953年3月14日 1955年2月28日 - 1979年9月7日 |
中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2010年4月18日)は、日本の政治家。衆議院議員、建設大臣。
来歴・人物
[編集]現在の鹿児島県霧島市国分に、参議院議員を務めた中馬猪之吉の二男として生まれる。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)[1]、第七高等学校 (旧制)を経て、1941年京都帝国大学法学部を卒業。陸軍主計大尉としてインパール作戦に従事し、負傷するものの危機一髪で生還した経験を持つ。帰国後は水産会社役員、鹿児島県煙草耕作連嘱託等を経て、1949年第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で旧鹿児島2区から立候補し当選(当選同期に池田勇人・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。以後10回当選。
保守合同後は佐藤栄作派-福田赳夫派に所属する。運輸政務次官、農林政務次官、衆院地方行政委員長等を歴任し、1976年三木内閣改造内閣で建設大臣として入閣する。1979年の総選挙で落選後、政界を引退。
「利口な世渡りは嫌いだ」といい、政界では常に縁の下の力持ち的な役割に徹してきた。1986年勲一等瑞宝章受章。
2010年4月18日、死去。享年94[2]。正七位から従三位に進階[3]。
脚注
[編集]- ^ 『鹿児島大百科事典』(1981年 南日本新聞社)「加治木高等学校」
- ^ 中馬辰猪氏死去(元建設相、元自民党衆院議員)時事通信
- ^ 『官報』第5317号、平成22年5月24日
議会 | ||
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先代 森田重次郎 |
衆議院地方行政委員長 1965年 - 1966年 |
次代 岡崎英城 |
公職 | ||
先代 竹下登 |
建設大臣 第39代:1976年 |
次代 長谷川四郎 |