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三木内閣 (改造)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三木内閣改造内閣から転送)
三木改造内閣
内閣総理大臣 第66代 三木武夫
成立年月日 1976年(昭和51年)9月15日
終了年月日 同年12月24日
与党・支持基盤 自由民主党
施行した選挙 第34回衆議院議員総選挙
内閣閣僚名簿(首相官邸)
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三木改造内閣(みきかいぞうないかく)は、三木武夫が第66代内閣総理大臣に任命され、1976年(昭和51年)9月15日から同年12月24日まで続いた日本の内閣

前の三木内閣改造内閣である。

概要

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前の三木内閣から三木改造内閣への内閣改造は、この年の暮れに迫っていた衆議院任期満了を睨み、衆議院の任期切れ前解散総選挙を企図する三木と、「三木おろし」と呼ばれる激しい倒閣運動を展開した反主流派の攻防の末、三木が解散断行を断念し、反主流派に妥協する形で行ったと言われる。

三木改造内閣の組閣において、自由民主党党三役幹事長、政調会長、総務会長)は、反主流派の中から「三木おろし」の本拠となった挙党体制確立協議会(挙党協)に属さない人物を閣僚に起用した。この結果、田中派からの起用が前田正男のみとなり、反田中色が鮮明になった。

この内閣で衆議院の任期満了選挙を戦うこととなり、自由民主党は議席減になった。いわゆる「大福密約」で福田赳夫が自民党新総裁に選出され、三木政権が退陣に追い込まれることとなった(福田赳夫内閣成立)。

各年度の防衛費を国民総生産(GNP)の1%枠に抑えることを閣議決定した[1]

内閣の顔ぶれ・人事

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所属政党・出身
  自由民主党   民間中央省庁

国務大臣

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職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣総理大臣 三木武夫 衆議院
自由民主党
三木派
自由民主党総裁
留任
副総理 福田赳夫 衆議院
自由民主党
福田派
留任
1976年(昭和51年)11月6日辞任
法務大臣 稲葉修 衆議院
自由民主党
中曽根派
留任
外務大臣 小坂善太郎 衆議院
自由民主党
大平派
再入閣
大蔵大臣 大平正芳 衆議院
自由民主党
(大平派)
留任
文部大臣 永井道雄 民間 留任
厚生大臣 早川崇 衆議院
自由民主党
(無派閥)
再入閣
農林大臣 大石武一 (衆議院→)
民間
自由民主党
(中曽根派)
再入閣
通商産業大臣 河本敏夫 衆議院
自由民主党
(三木派)
留任
運輸大臣 石田博英 衆議院
自由民主党
(無派閥)
再入閣
郵政大臣 福田篤泰 衆議院
自由民主党
(三木派)
再入閣
労働大臣 浦野幸男 衆議院
自由民主党
(大平派)
初入閣
建設大臣 中馬辰猪 衆議院
自由民主党
(福田派)
初入閣
自治大臣
国家公安委員会委員長
北海道開発庁長官
天野公義 (衆議院→)
民間
自由民主党
(大平派)
初入閣
内閣官房長官 井出一太郎 衆議院
自由民主党
(三木派)
留任
総理府総務庁長官
沖縄開発庁長官
西村尚治 参議院
自由民主党
田中派
初入閣
行政管理庁長官 荒舩清十郎 衆議院
自由民主党
椎名派
再入閣
国土庁長官 天野光晴 衆議院
自由民主党
(中曽根派)
初入閣
防衛庁長官 坂田道太 衆議院
自由民主党
(無派閥)
留任
経済企画庁長官 福田赳夫 衆議院
自由民主党
(福田派)
1976年(昭和51年)11月6日辞任
野田卯一 衆議院
自由民主党
(福田派)
1976年(昭和51年)11月6日任
科学技術庁長官 前田正男 (衆議院→)
民間
自由民主党
(田中派)
初入閣
環境庁長官 丸茂重貞 参議院
自由民主党
(福田派)
初入閣

内閣官房副長官・内閣法制局長官・総理府総務副長官

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職名 氏名 出身等 備考
内閣官房副長官 鯨岡兵輔 衆議院/自由民主党(三木派) 政務担当
梅本純正 官僚 事務担当
内閣法制局長官 真田秀夫 官僚
総理府総務副長官 森喜朗 衆議院/自由民主党(福田派) 政務担当
1976年(昭和51年)9月20日免
橋口隆 衆議院/自由民主党(三木派) 政務担当
1976年(昭和51年)9月20日任
皆川迪夫 官僚 事務担当
1976年(昭和51年)10月1日免
秋山進 官僚 事務担当
1976年(昭和51年)10月1日任

政務次官

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前内閣の政務次官が1976年(昭和51年)9月20日に退任し、同日付で新たな政務次官を任命した。

脚注

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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