阿部内閣
阿部内閣 | |
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総理官邸で記念撮影に臨む閣僚 | |
内閣総理大臣 | 第36代 阿部信行 |
成立年月日 | 1939年(昭和14年)8月30日 |
終了年月日 | 1940年(昭和15年)1月16日 |
与党・支持基盤 | 挙国一致内閣 |
内閣閣僚名簿(首相官邸) |
阿部内閣(あべないかく)は、予備役陸軍大将の阿部信行が第36代内閣総理大臣に任命され、1939年(昭和14年)8月30日から1940年(昭和15年)1月16日まで続いた日本の内閣。
閣僚の顔ぶれ・人事
[編集]国務大臣
[編集]1939年(昭和14年)8月30日任命[1]。在職日数140日。
職名 | 代 | 氏名 | 出身等 | 特命事項等 | 備考 | |
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内閣総理大臣 | 36 | 阿部信行 | 予備役陸軍大将 (陸大19期) |
外務大臣兼任 | 初入閣 | |
外務大臣 | 53 | 阿部信行 | 予備役陸軍大将 (陸大19期) |
内閣総理大臣兼任 | 初入閣 1939年9月25日免兼[2] | |
54 | 野村吉三郎 | 予備役海軍大将 (海兵26期) |
初入閣 1939年9月25日任[2] | |||
内務大臣 | 52 | 小原直 | 貴族院 無所属 (同和会) |
厚生大臣兼任 | ||
大蔵大臣 | 40 | 青木一男 | 貴族院 無所属 (研究会) |
企画院総裁兼任 | 初入閣 | |
陸軍大臣 | 28 | 畑俊六 | 陸軍大将 (陸大22期) |
対満事務局総裁兼任 | 初入閣 | |
海軍大臣 | 20 | 吉田善吾 | 海軍中将 (甲種13期) |
初入閣 | ||
司法大臣 | 39 | 宮城長五郎 | 司法省 | 初入閣 | ||
文部大臣 | 50 | 河原田稼吉 | 貴族院 無所属 (研究会) |
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農林大臣 | 14 | 伍堂卓雄 | 貴族院 無所属 (研究会) 予備役海軍造兵中将 |
商工大臣兼任 | 1939年10月16日免[3] | |
15 | 酒井忠正 | 貴族院 無所属 (研究会) 伯爵 |
初入閣 1939年10月16日任[3] | |||
商工大臣 | 18 | 伍堂卓雄 | 貴族院 無所属 (研究会) 予備役海軍造兵中将 |
農林大臣兼任 | ||
逓信大臣 | 45 | 永井柳太郎 | 衆議院 立憲民政党 |
鉄道大臣兼任 | ||
鉄道大臣 | 17 | 永井柳太郎 | 衆議院 立憲民政党 |
逓信大臣兼任 | 1939年11月29日免兼[4] | |
18 | 永田秀次郎 | 貴族院 無所属 (同和会) |
1939年11月29日任[4] | |||
拓務大臣 | 16 | 金光庸夫 | 衆議院 立憲政友会 (金光派) |
初入閣 | ||
厚生大臣 | 3 | 小原直 | 貴族院 無所属 (同和会) |
内務大臣兼任 | 1939年11月29日免兼[4] | |
4 | 秋田清 | 衆議院 無所属 (第一議員倶楽部) |
初入閣 1939年11月29日任[4] | |||
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内閣書記官長・法制局長官
[編集]1939年(昭和14年)8月30日任命[1]。
職名 | 代 | 氏名 | 出身等 | 特命事項等 | 備考 | |
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内閣書記官長 | 42 | 遠藤柳作 | 貴族院 無所属 (研究会) |
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法制局長官 | 39 | 唐沢俊樹 | 内務省 | |||
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政務次官
[編集]1939年(昭和14年)9月19日任命[5]。
職名 | 氏名 | 出身等 | 備考 |
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外務政務次官 | 多田満長 | 衆議院/立憲民政党 | |
内務政務次官 | 加藤鯛一 | 衆議院/国民同盟 | |
大蔵政務次官 | 清瀬規矩雄 | 衆議院/立憲政友会 | |
陸軍政務次官 | 宮沢胤勇 | 衆議院/立憲民政党 | |
海軍政務次官 | 西岡竹次郎 | 衆議院/立憲政友会 | |
司法政務次官 | 森田福市 | 衆議院/立憲政友会 | |
文部政務次官 | 作田高太郎 | 衆議院/立憲民政党 | |
農林政務次官 | 村上国吉 | 衆議院/立憲民政党 | |
商工政務次官 | 横川重次 | 衆議院/立憲政友会 | |
逓信政務次官 | 田中萬逸 | 衆議院/立憲民政党 | |
鉄道政務次官 | 原惣兵衛 | 衆議院/立憲政友会 | |
拓務政務次官 | 津雲国利 | 衆議院/立憲政友会(久原派) | |
厚生政務次官 | 三浦虎雄 | 衆議院/国民同盟 |
参与官
[編集]1939年(昭和14年)9月19日任命[5]
職名 | 氏名 | 出身等 | 備考 |
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外務参与官 | 依光好秋 | 衆議院/立憲政友会(久原派) | |
内務参与官 | 福井甚三 | 衆議院/立憲政友会 | |
大蔵参与官 | 豊田豊吉 | 衆議院/立憲民政党 | |
陸軍参与官 | 小山田義孝 | 衆議院/立憲政友会 | |
海軍参与官 | 真鍋儀十 | 衆議院/立憲民政党 | |
司法参与官 | 真鍋勝 | 衆議院/立憲民政党 | |
文部参与官 | 伊豆富人 | 衆議院/国民同盟 | |
農林参与官 | 小笠原三九郎 | 衆議院/立憲政友会(中島派) | |
商工参与官 | 小山倉之助 | 衆議院/立憲民政党 | |
逓信参与官 | 東条貞 | 衆議院/立憲政友会(久原派) | |
鉄道参与官 | 坂東幸太郎 | 衆議院/立憲民政党 | |
拓務参与官 | 笠井重治 | 衆議院/無所属 | |
厚生参与官 | 永山忠則 | 衆議院/無所属(第一議員倶楽部) |
勢力早見表
[編集]※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。
出身 | 国務大臣 | 政務次官 | 参与官 | その他 |
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立憲政友会 | 1 | 6 | 5 | |
立憲民政党 | 1 | 5 | 5 | 国務大臣のべ2 |
国民同盟 | 0 | 2 | 1 | |
第一議員倶楽部 | 1 | 0 | 1 | |
研究会 | 3 | 0 | 0 | 内閣書記官長 国務大臣のべ4 |
同和会 | 1 | 0 | 0 | |
無所属 | 0 | 0 | 1 | |
軍部 | 3 | 0 | 0 | 国務大臣のべ4 |
官僚 | 1 | 0 | 0 | 法制局長官 |
11 | 13 | 13 | 国務大臣のべ14 |
内閣の動き
[編集]平沼前内閣は、反ソ親独(ファシズム)の立場から、日独伊三国同盟を推進する陸軍と、反ファシズムの平沼首相との間で対立を繰り広げていたところ、独ソ不可侵条約が締結されたことによって議論の前提が覆ったことにより、平沼内閣は内閣総辞職を決断。後継を巡り、陸軍は阿部信行陸軍大将を推し、西園寺公望元老、湯浅倉平内大臣らも同意したことで、1939年8月29日、発足する。省内では、武藤章軍務局長らが熱心に阿部を推していたという[6]。
人事では、陸相については昭和天皇より、信任の厚い梅津美治郎次官または畑俊六侍従武官長をあてるよう希望が出され、陸軍はこれを容れて畑を推挙(梅津は関東軍司令官としてノモンハン事件で打撃を受けた関東軍の立て直しに当たる)。外相も英米協調の希望に沿って野村吉三郎海軍大将をあてた。政党からは、二大政党の立憲民政党、立憲政友会がそれぞれ大臣1人を輩出した[7]。
- 主な政策
- 第二次世界大戦…当時の欧州情勢は、英・独・ソの三大国の対立状態であったが、独ソ不可侵条約を成立させた独ソ両国は9月に入ると相次いでポーランド侵攻を開始。3日に英仏が対独宣戦布告を行い、第二次世界大戦が開戦する。阿部内閣はこの情勢に対し、4日に「今次欧州戦争勃発に際しては帝国は之に介入せず、専ら支那事変の解決に邁進せんとす」の声明を発表。不介入の方針をとりつつ、三国同盟論が一時的に下火となったのを受けて、野村外相を窓口として英米協調路線への軌道修正が図られたが、成果は得られなかった[7]。
- 日華事変…1937年の開戦以降長期戦の様相を呈していた日華事変については、日華基本条約の内約交渉が進められ、1940年1月8日、新中央政権樹立に関する基本方策が閣議決定された[7]。
阿部内閣は、阿部首相本人に行政経験が皆無であること等から短命政権に終わるとみなされた。世論の支持が零落していた政党陣営も阿部内閣には強気であり、11月に内閣の側から民政党の町田忠治総裁に入閣要請があるなど、政治基盤の強化が図られたが民政党はこれを拒否。逆に年末の第75回帝国議会の召集と時を同じくして内閣不信任を突きつける。阿部首相は衆議院解散を検討するが、陸海軍は、予算の審議に支障が出ること、解散したところでその後の事態打開のめどがないことを理由に反対しつつ、阿部首相を「時局担当能力なし」と早くも見切りをつけて後継候補を探すなど、最後は四面楚歌の状態の中で、1940年1月16日、内閣総辞職に追い込まれることとなった[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和14年8月30日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和14年9月25日
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和14年10月16日
- ^ a b c d 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和14年11月29日
- ^ a b 『官報』第3814号「叙任及辞令」、昭和14年9月20日
- ^ 升味 2011, pp. 130–132.
- ^ a b c 升味 2011, p. 132.
- ^ 升味 2011, pp. 133–134.
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 升味準之輔『新装版 日本政党史論 第7巻 近衛新体制』東京大学出版会、東京都文京区、2011年12月15日。ISBN 978-4-13-034277-3。