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笠井重治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笠井重治

笠井 重治(かさい じゅうじ、1886年7月14日[1] - 1985年4月10日)は、日本の政治家衆議院議員(3期)。

経歴

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山梨県南巨摩郡西島村[2]中富町を経て現身延町)出身。1904年に渡米[1]1913年シカゴ大学政治学科卒[3]ハーバード大学大学院で国際法と外国史を専攻する[3]

帰国後、東京市会議員、同参事会員[3]となる。1930年第17回衆議院議員総選挙から郷里の山梨県から無所属で立候補したが落選続きで[4]1936年第19回衆議院議員総選挙でトップで初当選した[4]。以来当選3回。阿部内閣拓務参与官を務めた[3]

1941年5月、衆議院中南米視察団に参加。途中、篠原陸朗代議士とともに視察団から離れワシントンD.C.に赴いたが日米関係悪化。同年11月2日、サンフランシスコを出発する引き揚げ船、龍田丸に乗船して帰国した[5]

1942年第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の非推薦候補だったため落選[4]1946年第22回衆議院議員総選挙で当選した[4]。翌1947年第23回衆議院議員総選挙で落選した[4]。同年日米文化振興会会長に就任[1]。この他国際出版印刷[3]、国際産業[1]の各社長を務めた。1985年死去。98歳没。墓所は多磨霊園

脚注

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  1. ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』152頁。
  2. ^ 『山梨百科事典』増補改訂版、205頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』169頁。
  4. ^ a b c d e 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』92、100、108、127、146、168頁。
  5. ^ 久しぶりの母国に感激の顔『大阪毎日新聞』(昭和16年11月15日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p456 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056