清瀬規矩雄
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清瀬 規矩雄(きよせ きくお、1878年(明治11年)10月11日[1] – 1944年(昭和19年)12月5日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。
経歴
[編集]大分県宇佐郡四日市町(現在の宇佐市)出身。1897年(明治30年)から欧米各国に留学して法学・経済学を学び、サンフランシスコで「日米新聞」の記者となった。1910年(明治43年)に帰国した後は「東京朝日新聞」記者を経て、南満州鉄道株式会社総裁秘書を務めた。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。原内閣・高橋内閣で山本達雄農商務大臣の秘書官を務めた[1]。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙から4回連続当選。その間、阿部内閣で大蔵政務次官に就任した。
その他、豊国セメント株式会社取締役などを務めた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『二豊名家言行録』大分県人社、1932年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十二年十一月』衆議院事務局、1937年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。