コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松本十郎 (衆議院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松本 十郎
まつもと じゅうろう
防衛庁長官として部隊を視察する松本(1989年11月15日)
生年月日 (1918-05-22) 1918年5月22日
出生地 日本の旗 日本 兵庫県(現・姫路市
没年月日 (2011-11-21) 2011年11月21日(93歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
前職 国家公務員大蔵省
衆議院議員
所属政党 自由民主党三塚派加藤派
称号 従三位
勲一等瑞宝章
親族 長男・松本剛明(衆議院議員・総務大臣、元外務大臣)

日本の旗 第48代 防衛庁長官
内閣 第1次海部内閣
在任期間 1989年8月10日 - 1990年2月28日

選挙区 旧兵庫4区
当選回数 6回
在任期間 1969年12月28日 - 1976年12月9日
1979年10月8日 - 1983年11月28日
1986年7月7日 - 1993年6月18日
テンプレートを表示

松本 十郎(まつもと じゅうろう、1918年5月22日 - 2011年11月21日)は、日本の政治家、大蔵官僚防衛庁長官第48代)、衆議院議員(6期)等を歴任。位階従三位

息子は衆議院議員・総務大臣、元外務大臣松本剛明。後妻の悦子は初代内閣総理大臣伊藤博文の曾孫。財務官僚の寺内肇は娘婿。

生涯

[編集]

兵庫県姫路市[要出典](現・姫路市)生まれ。旧制龍野中学校第三高等学校文科甲類[1]東京帝国大学法学部卒業。1942年大蔵省に入省。管財局[2]神戸税関長銀行局検査部長を経て、1967年より大蔵省印刷局長

大蔵省退官後の1969年第32回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧兵庫4区(定数4)から出馬し、初当選した。当選後、福田派(当時)に入会。1976年第34回衆議院議員総選挙では次点で落選する。1979年第35回衆議院議員総選挙で返り咲き、第2次大平内閣外務政務次官に就任。1987年より衆議院地方行政委員長1989年第1次海部内閣防衛庁長官に任命され、初入閣した。

安倍晋太郎の死後、旧安倍派が三塚博派・加藤六月グループに分裂した際は加藤グループに参加し、同会の副会長を務める。1993年第40回衆議院議員総選挙では次点で落選し、政界を引退した。十郎の引退後、息子の剛明が姫路市の地盤を引き継ぎ、第42回衆議院議員総選挙以降は当選を続けている(第41回衆議院議員総選挙には無所属兵庫11区から出馬するも落選)。2000年勲一等瑞宝章受章。

2011年11月21日呼吸不全のため東京都内の病院で死去[3]。93歳没。没日付で正七位から従三位に進階[4]

親族

[編集]

その他

[編集]
  • 日中国会議員書画展へ書画を提供している。[6]

脚注

[編集]
  1. ^ 「旧制高等学校物語 第3」財界評論社 1965年
  2. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、351頁
  3. ^ “松本十郎さん死去 元衆院議員、元防衛庁長官”. 神戸新聞. (2011年11月21日). オリジナルの2011年11月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111125002215/http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004634264.shtml 2011年11月21日閲覧。 
  4. ^ 官報第5702号、2011年12月16日閲覧
  5. ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017、「伊藤博文」の章
  6. ^ 書画を提供して下さった先生 - 松本十郎NPO法人日中国会議員書画展実行委員会
公職
先代
山崎拓
日本の旗 防衛庁長官
第48代:1989年 - 1990年
次代
石川要三
議会
先代
石橋一弥
日本の旗 衆議院地方行政委員長 次代
西田司
官職
先代
高田壽史
日本の旗 大蔵省印刷局長
1967年 - 1968年
次代
瀬戸山孝一