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鹿野彦吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鹿野 彦吉
かの ひこきち
生年月日 (1904-12-11) 1904年12月11日
出生地 山形県
没年月日 (1978-02-18) 1978年2月18日(73歳没)
死没地 東京都千代田区 宮内庁病院
出身校 京都帝国大学法学部
前職 実業家
所属政党民主自由党→)
自由党→)
自由民主党
称号 正四位
勲二等瑞宝章
親族 鹿野道彦

選挙区 旧山形1区
当選回数 5回
在任期間 1949年1月23日 - 1952年8月28日
1955年2月27日 - 1960年10月24日
1967年1月29日 - 1972年11月13日
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鹿野 彦吉(かの ひこきち、1904年明治37年)12月11日[1] - 1978年昭和53年)2月18日[1])は、日本政治家実業家衆議院議員(5期)。

民主党衆議院議員で農林水産大臣などを務めた鹿野道彦の父。

経歴

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山形県出身[1][2]1931年(昭和6年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業[1][2]。京城化学支配人、関西ペイント東京支店長、東京特殊塗料監査役、関西ペイント取締役、徳山曹達(現トクヤマ)取締役、山形天然瓦斯取締役、蔵王高原観光開発取締役社長などを務めた[2]

1949年(昭和24年)の総選挙山形1区から出馬し、初当選[1]。以来通算5期務めた[1]第1次岸改造内閣経済企画政務次官、国土開発審議会委員、自由党総務、自民党国会対策副委員長、衆院公職選挙法改正に関する調査特別委員長等を務めた[1]

1978年(昭和53年)2月18日、肝硬変のため東京都千代田区宮内庁病院で死去、73歳[3]。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、正四位に叙される[4]

著書

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  • 『日本経済自立の根本策』[1]
  • 『所得倍増の具体策』[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『政治家人名事典』148頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』166頁。
  3. ^ 訃報欄 鹿野彦吉氏(元代議士=自民党)『朝日新聞』1978年(昭和53年)2月19日朝刊、13版、23面
  4. ^ 『官報』第15339号13-14頁 昭和53年3月3日号

参考文献

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  • 『政治家人名事典』編集・発行 - 日外アソシエーツ株式会社、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
議会
先代
吉川久衛
日本の旗 衆議院地方行政委員長
1968年 - 1970年
次代
菅太郎
先代
高橋英吉
日本の旗 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 次代
竹山祐太郎