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増田敏男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
増田敏男
ますだ としお
生年月日 (1929-04-20) 1929年4月20日(95歳)
出生地 日本の旗埼玉県熊谷市
出身校 埼玉県立熊谷高等学校中退
所属政党無所属→)
自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
自由民主党

選挙区旧埼玉3区→)
埼玉12区→)
比例北関東ブロック→)
埼玉12区
当選回数 5回
在任期間 1990年2月18日 - 2005年8月8日

当選回数 2回
在任期間 1982年5月19日 - 1986年6月


埼玉県の旗 埼玉県議会議員
当選回数 4回
在任期間 1967年4月 - 1982年

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増田 敏男(ますだ としお、1929年昭和4年)4月20日[1] - )は、日本政治家衆議院議員(5期)、熊谷市長(2期)を歴任した[2]

所属

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所属政党は自由民主党新生党新進党自由民主党と変わっていて、3回目で自由民主党に復党している。所属派閥宮沢派加藤派堀内派亀井派と3回変わっている。2005年に引退するまで、小島敏男コスタリカ方式をとった.

来歴

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埼玉県熊谷市出身で埼玉県立熊谷高等学校を中退。

1959年5月、熊谷市議会議員に初当選する。

1967年4月、埼玉県議会議員に当選。

1981年3月、第82代埼玉県議会議長[3]に就任した。

1982年5月、熊谷市長に初当選したが、1986年6月、熊谷市長辞職。同7月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で落選。

1990年2月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で初当選。同3月、衆議院地方行政委員会理事となる。

1993年8月、国土政務次官に就任し、1996年1月、衆議院農林水産委員会理事となる。同11月、衆議院農林水産委員会筆頭理事、衆議院地方行政委員会筆頭理事を務める。1997年1月、衆議院建設委員会筆頭理事となる。1998年8月、衆議院農林水産委員会理事、衆議院文教委員会理事、自由民主党政務調査会内閣部会長となる。

1999年10月、国土総括政務次官に就任。

2000年3月、有珠山噴火非常災害現地対策本部長に就任[4]。同7月、衆議院地方行政委員長となる。同12月、労働総括政務次官に就任。

2001年1月、厚生労働副大臣に就任。同4月、自由民主党埼玉県支部連合会長に就任。同5月、自由民主党政務調査会副会長に就任。

2002年10月、法務副大臣に就任し、2003年、衆議院法務委員長となる。

2005年8月、政界での活動を引退した。

出典

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、105頁。
  2. ^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “増田敏男|プロフィール|HMV&BOOKS online”. HMV&BOOKS online. 2022年11月21日閲覧。
  3. ^ 埼玉県議会. “第82代 増田敏男議長”. 埼玉県. 2022年11月9日閲覧。
  4. ^ 増田 敏男 『三日で解決せよ―有珠山噴火現地対策本部長奮闘記』時事通信社、 2001年3月1日

関連項目

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公職
先代
横内正明
日本の旗 法務副大臣
2002年 - 2003年
次代
星野行男
先代
創設
日本の旗 厚生労働副大臣
桝屋敬悟と共同

2001年
次代
南野知惠子
桝屋敬悟
先代
黒田海之助
熊谷市旗埼玉県旧熊谷市長
1982年 -1986年
次代
小林一夫
議会
先代
山本有二
日本の旗 衆議院法務委員長
2003年
次代
柳本卓治
先代
斉藤斗志二
日本の旗 衆議院地方行政委員長
2000年
次代
廃止