大西正道
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大西正道 おおにし せいどう | |
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生年月日 | 1912年11月7日 |
出生地 |
日本 兵庫県飾磨郡花田村 (現・兵庫県姫路市) |
没年月日 | 1960年7月15日(47歳没) |
出身校 | 日本大学高等師範部卒業 |
前職 | 教員 |
所属政党 |
(右派社会党→) 日本社会党 |
称号 |
正五位 勲三等瑞宝章 |
選挙区 | 旧兵庫4区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1953年4月19日 - 1960年7月15日 |
大西 正道(おおにし せいどう、1912年(大正元年)11月7日[1][2][3][4][5] - 1960年(昭和35年)7月15日[1][2][3][4][5][6])は、大正から昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員(3期)。
経歴
[編集]兵庫県[2][3][5][6]飾磨郡花田村[1](現姫路市花田町)で生まれる。姫路師範学校をへて[1]、1939年(昭和14年)日本大学高等師範部を卒業した[1][2][3][4][5][6]。
1939年から兵庫県、東京都、青森県の小学校訓導を務め、青森県立弘前高等女学校(現青森県立弘前中央高等学校)教諭に就任[1][2][3][4][5][6]。戦後、労働組合運動に加わり、日本教職員組合が結成されると同中央執行委員、その後、同副委員長に就任した[1][2][3][4][5][6]。その他、中央教育復興会議幹事長、ユネスコ全国連盟常任委員、世界連邦建設同盟常任理事、文部省教科書検定委員、全日本仏教会参与などを務めた[1][2][3][4][5][6]。
1952年(昭和27年)日本社会党に入党[2][3][4][5]。同年10月の第25回衆議院議員総選挙に兵庫県第4区から右派社会党公認で出馬して次点で落選[7]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙に出馬して初当選[2][3][5][8]。以後、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙まで再選され[9]、衆議院議員に連続3期在任した[1][2][3][4][5][6]。1960年7月、議員在任中に死去した。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[10]。
著作
[編集]- 『教育復興 : 働く者の 働く者による 働く者のための』週刋教育新聞社、1948年。
- 『敎育委員會法の解義』井田書店出版部、1948年。
- 編『新しく制定された重要教育法の解説』東洋館出版、1953年。
- 編著『南朝鮮 : 圧政にあえぐ民衆』新読書社、1959年。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『兵庫県人物事典 下巻』76頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『日本人名大事典 現代』148-149頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』116頁。
- ^ a b c d e f g h 『現代人名情報事典』189頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『20世紀日本人名事典 あ-せ』507頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』133頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』269頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』270頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』270-271頁。
- ^ 『官報』第10072号831頁 昭和35年7月19日号
参考文献
[編集]- 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。
- 『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年。
- 『現代人名情報事典』平凡社、1987年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。