コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

竹内功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹内 功
たけうち いさお
竹内功(2002年7月19日
生年月日 (1951-12-18) 1951年12月18日(73歳)
出生地 日本の旗 日本 鳥取県鳥取市
出身校 東京大学法学部
前職 国家公務員建設省国土交通省
所属政党無所属→)
自由民主党石破G
称号 旭日小綬章

選挙区 比例区
当選回数 1回
在任期間 2021年10月29日 - 2022年7月25日

当選回数 3回
在任期間 2002年4月15日 - 2014年4月14日
テンプレートを表示

竹内 功(たけうち いさお、1951年昭和26年〉12月18日[1] - )は、日本政治家建設国土交通官僚参議院議員(1期)、鳥取県鳥取市長(3期)を務めた。

概要

[編集]

鳥取県鳥取市生まれ。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1974年、建設省(現国土交通省)に入省。

2002年4月7日に行われた鳥取市長選挙に出馬。現職の西尾迢富ら3候補を破り、初当選を果たした[2]。同年4月15日、市長就任[3]

2006年再選

2010年3選。

2012年8月14日夜、鳥取しゃんしゃん祭の閉会式で、高さ1メートルの仮設ステージで挨拶し階段を下りる際にバランスを崩し、落ちる[4]

2012年5月、「耐震改修を実施」と「新築移転」の2択で実施された住民投票に際し、住民投票の結果を尊重すると公言していた。住民投票の結果は「耐震改修案」であったが、その後2013年に市議会で新築移転に方針転換することを表明し、耐震改修派の住民から「住民投票結果を軽視するものだ」との反発の声が多く上がっている[5]。また、「移転を推進する為に、市役所が行う地盤調査の結果について恣意的に詳らかにしていないのではないか?」という疑惑が住民投票より前の時期から存在し、実際に市役所に行けば閲覧可能である。

2013年11月26日、住民投票を無視したことで再選の可能性が薄れた為、「庁舎の新築移転は新しい市長が実現する方がより円滑に実現出来ると考えたこと」を理由に出馬しない意向を表明した[6]

2014年4月14日、任期満了により退任。

2016年7月に行われた第24回参議院議員通常選挙比例区から自民党より立候補した。鳥取県選挙区島根県選挙区合同選挙区鳥取県・島根県選挙区になったことを受け、自民党は鳥取県・島根県選挙区の地方区では島根県出身の青木一彦を擁立し、比例区では鳥取県出身者を参議院に送り出すために自民党鳥取県連が中心となって竹内を擁立して鳥取県と島根県の業界票を集中させることで、選挙区合区で失う議席の補填とした。通常は自民党の参議院比例名簿はあいうえお順であるが、合区対象の県の比例当選を優先させるべく、例外的に鳥取県出身の竹内が比例名簿順位2番目に記載された(比例名簿順位筆頭は同じく合区対象となった高知県出身の中西哲)。しかし、竹内は参議院比例区得票順位が党内20位に終わり、自民党の獲得議席が19議席であったことから次点での落選となった[7][8]。竹内を含め鳥取県に住所を置く候補(比例区では竹内以外では民進党の鎌谷一也と共産党の岡田正和、鳥取・島根選挙区では福嶋浩彦)がそれぞれ落選したことにより、2016年参院選では47都道府県で唯一鳥取県に選挙地盤を持つ候補を比例区を含めて選出できない状態となった[8][9][10]。竹内が獲得した8万7578票のうち、地元の鳥取県では2万6674票を獲得したのに対し、合区対象の島根県では1万1153票しか得られなかったことも自民党鳥取県連から問題視された[10][11]

2021年10月、高階恵美子参議院議員が第49回衆議院議員総選挙比例中国ブロックから立候補したことによる議員退職(失職)に伴い、同月28日の中央選挙管理会の選挙会で次点である竹内の繰り上げ当選を決定した(当選の効力は官報告示の同月29日以降)[12][13][14]。竹内の任期は2022年7月までとなる。

2021年12月、石破グループに入会[15]

2022年7月に行われる第26回参議院議員通常選挙に向けては、比例区の鳥取県連の特定枠候補者の公募に参加したが、同年2月の選考の結果、鳥取県議会議員の藤井一博に敗れた[16]ため、参院選には立候補しなかった。

2023年4月9日投開票の鳥取県議会議員選挙に鳥取市選挙区から無所属で出馬したが落選した[17]

2024年(令和6年)春の叙勲で旭日小綬章受章[18][19]

人物

[編集]

経歴

[編集]

学歴

[編集]

職歴

[編集]
  • 1974年(昭和49年) - 4月建設省に採用される。(国家公務員上級甲法律職試験に合格)
  • 1974年(昭和49年) - 建設省計画局総務課事務官
  • 1976年(昭和51年) - 建設省河川局水政課係長
  • 1977年(昭和52年) - 7月~1979年(昭和54年)6月国家公務員長期在外研究員として米国留学。
  • 1980年(昭和55年) - 建設省住宅局市街地建築課課長補佐
  • 1981年(昭和56年) - 建設省関東地方建設局総務部人事第一課長
  • 1983年(昭和58年) - 島根県企画部土地対策課長
  • 1984年(昭和59年) - 島根県総務部総務課長
  • 1985年(昭和60年) - 島根県土木部管理課長
  • 1987年(昭和62年) - 建設省大臣官房人事課課長補佐
  • 1989年(平成元年) - 建設省建設経済局総務課建設専門官
  • 1990年(平成2年) - 綿貫民輔建設大臣秘書官事務取扱
  • 1991年(平成3年) - 建設大臣官房政策課企画官
  • 1992年(平成4年) - 建設大臣官房政策課総括計画官
  • 1993年(平成5年) - 建設省住宅局住宅企画官
  • 1994年(平成6年) - 鳥取県企画部次長兼智頭急行株式会社総務部長
  • 1995年(平成7年) - 鳥取県企画部長
  • 1998年(平成10年)- 建設省住宅局民間住宅課長
  • 1999年(平成11年)- 建設省住宅局総務課長
  • 2001年(平成13年)- 国土交通省中国地方整備局副局長
  • 2002年(平成14年)- 4月鳥取市長就任(1期目)
  • 2006年(平成18年)- 4月鳥取市長就任(2期目)
  • 2010年(平成22年)- 4月鳥取市長就任(3期目)
  • 2014年(平成26年)- 4月市長退任後、鳥取市市政顧問に就任(2016年12月現在に至る)
  • 2014年(平成26年)- 5月鳥取大学客員教授に採用(2016年12月現在に至る)
  • 2014年(平成26年)- 6月学校法人大阪滋慶学園参与に任命(2016年12月現在に至る)
  • 2014年(平成26年) - 9月福祉・医療のまちづくり研究会代表に就任(2016年12月現在に至る)
  • 2014年(平成26年) - 11月NPO法人トラベルフレンズ・とっとり理事長就任(2016年12月現在に至る)
  • 2015年(平成27年) - 8月一般社団法人鳥取・日光400年プロジェクト理事就任(2016年12月現在に至る)
  • 2021年(令和3年) - 10月参議院議員繰り上げ当選。

住民投票に対する姿勢

[編集]

鳥取市庁舎が老朽化の進行によって耐震強度が不足するようになったことから、耐震改修を実施するか、新築移転するかで論議となっていた。2012年5月に実施された住民投票では、耐震改修案が新築移転案を上回り、竹内は当初、住民投票結果を尊重するとしていたが、その後2013年になって、市議会で新築移転に方針転換することを表明した。これに対して耐震改修派の住民から「住民投票結果を軽視するものだ」との反発の声が多く上がっている[5]。同年11月8日、竹内は旧市立病院跡地に約65億6000万円をかけて庁舎を新築する案を正式に表明。これに対し市民団体から「民意の無視だ」として批判が強まっていたが、その後就任した深澤市長も市庁舎新規移転推進派であり、市庁舎は新規移転された。

鳥取市長時代の主な業績と取り組み

[編集]
  • 貸工場方式、鳥取三洋電機跡地の購入など新しい手法で様々な業種の企業誘致を積極的に行い、雇用の場・地元企業の取引先の確保に実績を上げた。市自らが雇用のマッチングの体制を整え、求職希望者の就職支援で実績を上げた。鳥取県内で最も早くから人口増加対策に取り組み、総合的な移住定住対策を講じて効果を上げた。
  • 鳥取県企画部長時代に設立を手がけた鳥取環境大学の公立大学化に、積極的に取り組んでその実現を図り大学の定員の充足と持続的発展を確保した。鳥取市医療看護専門学校(学校法人 大阪滋慶学園)の誘致を実現し、地元の高校生の医療看護系の進学先を地元に確保し、高まる医療福祉人材のニーズに対応した。
  • 鳥取県下で2番目となる、鳥取市自治基本条例を市町村合併後に定めて、新市の市政の基本ルールを明確にした。市内の61カ所の地区公民館毎に、新たに「まちづくり協議会」を結成し自治会を始め各種団体が連携して「協働まちづくり」を自主的に進められる体制を整えたが、実質、機能していない。
  • 鳥取自動車道などの高速道路の整備・山陰本線の高速化・鳥取空港の5便化など交通基盤の整備促進に取り組み成果を上げた。鳥取砂丘に砂像を展示する砂の美術館を開設し砂丘観光に大きな実績を上げるとともに、山陰海岸ジオパークの世界ジオパークネットワークへの加盟を実現した。

受賞・栄典等

[編集]
  • 1992年4月 - 米国ボルチモア名誉市民
  • 2002年8月 - 姫路市特別名誉市民
  • 2004年11月1日 - 総務大臣表彰(市町村合併の実現に対して)
  • 2010年10月20日 - 法務大臣表彰(戸籍制度の充実発展に対して)
  • 2013年
    • 6月5日 全国市長会会長表彰(地方自治の振興に対して)
    • 7月10日 国土交通大臣表彰(河川事業の推進に対して)
  • 2014年10月1日 - 鳥取市長表彰(長年にわたる地方自治の発展に対して)
  • 2024年 - 旭日小綬章[19]

著書

[編集]
  • 『地域について語る~21世紀の地域づくりへの提言~』(1999年 建設人社発行)
  • 『鳥取力を高めよう~人を大切にするまちに~』(2010年 今井書店発行)
  • 『建築行政における地区計画』 建設省住宅局内建築行政研究会(共著)(1981年 第一法規発行)

脚注

[編集]
  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、324頁。
  2. ^ ザ選挙 - 鳥取市長選挙(2002/04/07投票)結果
  3. ^ a b 竹内市長プロフィール”. 鳥取市. 2013年11月27日閲覧。
  4. ^ [1]
  5. ^ a b 鳥取市長:住民投票結果と逆 市役所新築移転を議会で表明 毎日新聞 2013年6月8日
  6. ^ “竹内・鳥取市長 4選不出馬”. 読売新聞. (2013年11月27日). https://web.archive.org/web/20131202230732/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tottori/news/20131126-OYT8T01342.htm 2013年11月27日閲覧。 
  7. ^ 日本放送協会. “比例代表 自由民主党 -参院選- NHK”. www.nhk.or.jp. 2023年5月5日閲覧。
  8. ^ a b “比例の竹内さん落選 自民「鳥取枠」獲得できず”. 日本海新聞. (2016年7月12日). http://www.nnn.co.jp/news/160712/20160712005.html 
  9. ^ “候補者の妻「よさこい」と「阿波おどり」を披露、投票で「合区反対」抗議票も…参院選騒動記”. 産経新聞. (2016年8月9日). https://www.sankei.com/article/20160809-MPXLH57UQFOQ5DJTJ2Y5GRW6XE/ 
  10. ^ a b “山陰両県在住 比例候補4人全員落選”.  山陰中央新報. (2016年7月11日). http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=560065261 
  11. ^ “自民「合区」救済策が失敗=比例転出に不満、強まる解消論【16参院選】”. 時事通信. (2016年7月12日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071200794&g=pol 
  12. ^ 『官報』第606号2頁 令和3年10月29日号「平成二十八年七月十日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る欠員による繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件(中央選挙管理会二七)」
  13. ^ 自民・高階氏が参院議員失職 竹内氏が繰り上げへ【21衆院選】”. 時事ドットコム (2021年10月19日). 2021年10月19日閲覧。
  14. ^ “自民・竹内氏が繰り上げ当選”. 時事ドットコム. (2021年10月28日). https://web.archive.org/web/20211028042330/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021102800637 
  15. ^ “自民・石破派を解消し、グループへ”. 山陰中央新報. (2021年12月2日). https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/130029 2021年12月3日閲覧。 
  16. ^ “参院選「特定枠」藤井氏に…自民県連”. 読売新聞. (2022年2月15日). https://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20220511-SYT8T2990183/ 2022年6月25日閲覧。 
  17. ^ 2023鳥取県議選”. www.nnn.co.jp. 日本海新聞 Net Nihonkai. 2023年4月8日閲覧。
  18. ^ 『官報』号外第106号、令和6年4月30日
  19. ^ a b 令和6年春の受勲 勲章受章者名簿』(PDF)(プレスリリース)総務省、2024年4月29日https://www.soumu.go.jp/main_content/000944343.pdf2024年4月29日閲覧 

外部リンク

[編集]