田畑金光
田畑 金光 たばた かねみつ | |
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生年月日 | 1914年1月22日 |
出生地 | 鹿児島県龍郷町 |
没年月日 | 2013年4月22日(99歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
所属政党 | 右派社会党→日本社会党→民主社会党【改称】民社党(→無所属) |
称号 | 勲二等旭日重光章、叙正四位、龍郷町名誉町民 |
選挙区 | 福島県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1953年5月3日 - 1965年6月1日 |
選挙区 | 福島県第3区 (中選挙区) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1967年1月29日 - 1972年12月9日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1974年10月20日 - 1986年10月19日 |
田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22日[1] - 2013年(平成25年)4月22日)は、昭和期の政治家。民社党衆議院議員、いわき市長。
来歴・人物
[編集]1932年鹿児島県立大島中学校 (旧制)卒業。1936年大阪高等学校 (旧制)文科卒業。1939年東京帝国大学法学部法律学科卒業。[2][4]
大学卒業後は満州国政府に勤めながら、大同学院を卒業。1940年に従軍し、1945年に陸軍主計大尉で復員。
戦後、福島県の現いわき市に移り、1946年大日本炭鉱勿来鉱業所勤務。1947年(昭和22年)福島県議会議員に当選[4]。右派社会党公認で、1953年(昭和28年)に第3回参議院議員通常選挙福島県選挙区で初当選。第5回参議院議員通常選挙同選挙区にて日本社会党公認で再選し、計2期務める。2期目の途中、民主社会党に移籍する。1967年(昭和42年)の第31回衆議院議員総選挙福島県第3区 (中選挙区)に民主社会党公認で立候補し当選。第32回衆議院議員総選挙でも同選挙区にて民社党公認で再選し、計2期務める。1974年(昭和49年)のいわき市長選挙に革新系無所属(日本社会党、民社党、日本共産党推薦)として立候補し、現職の大和田弥一(自由民主党推薦)を約3万票差で破って初当選[5]。再選を重ね3期12年務める。1984年(昭和59年)に勲二等旭日重光章を受章した[4]。[2]
1986年(昭和61年)の市長選で中田武雄に敗れる。その後も地域で講演活動を精力的に行ってきた。
1998年に故郷龍郷町の名誉町民となる[2]。2013年4月22日に敗血症のため死去[6]。99歳没。叙正四位。
元福島県議会議員の中村秀樹は義理の孫。
出典
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、60頁。
- ^ a b c d 龍郷町公式サイト-名誉町民-田畑金光 2019年5月29日閲覧
- ^ “つなごう希望:東日本大震災・鹿児島から 奄美市民が支援物資 /鹿児島”. 毎日新聞. (2011年4月9日) 2011年4月22日閲覧。
- ^ a b c d “田畑金光元いわき市長死去 衆参4回当選”. 福島民報. (2013年4月24日) 2013年4月24日閲覧。
- ^ いわき民報1974年9月30日夕刊
- ^ 田畑金光氏が死去 元衆院議員 日本経済新聞 2013年4月23日閲覧
公職 | ||
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先代 大和田弥一 |
福島県いわき市長 1974年 - 1986年 |
次代 中田武雄 |
議会 | ||
先代 近藤信一 |
参議院商工委員長 1958年 - 1959年 |
次代 山本利寿 |