玉城村
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たまぐすくそん 玉城村 | |
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廃止日 | 2006年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 佐敷町・知念村・大里村・玉城村→南城市 |
現在の自治体 | 南城市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 沖縄県 |
郡 | 島尻郡 |
市町村コード | 47345-6 |
面積 | 16.87 km2 |
総人口 |
10,541人 (2005年12月1日) |
隣接自治体 | 佐敷町、大里村、知念村、具志頭村 |
村の木 | リュウキュウコクタン |
村の花 | ハイビスカス |
村の花木 | サルスベリ |
玉城村役場 | |
所在地 |
〒901-0695 沖縄県島尻郡玉城村字富里143番地 |
座標 | 北緯26度08分40秒 東経127度46分01秒 / 北緯26.14442度 東経127.76692度座標: 北緯26度08分40秒 東経127度46分01秒 / 北緯26.14442度 東経127.76692度 |
ウィキプロジェクト |
玉城村(たまぐすくそん)は沖縄本島南部に位置していた村。島の南に奥武島がある。
2006年1月、佐敷町、知念村、大里村と合併し南城市となった。村役場は富里に置かれ、合併後南城市の本庁舎となった(2018年に佐敷新里の現庁舎に移転)。
地理
[編集]字一覧
[編集]- 愛地(あいち)
- 糸数(いとかず)
- 奥武(おう) - 玉城村域内で二番目に人口が多い字(行政区)
- 親慶原(おやけばる) - 終戦後は一時期軍政府が置かれた
- 垣花(かきのはな)
- 喜良原(きらばる)
- 志堅原(しけんばる)
- 玉城(たまぐすく)
- 當山(とうやま)
- 中山(なかやま)
- 仲村渠(なかんだかり)
- 百名(ひゃくな)
- 富里(ふさと)
- 船越(ふなこし)
- 堀川(ほりかわ) - 奥武から分立
- 前川(まえかわ)
- 屋嘉部(やかぶ)
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]かつては玉城・和名・百名・奥武・志堅原・仲栄真・あだん口・嶺・下百名・当山・糸数・富名腰・目取真・稲福・大城の15集落から玉城間切をなしていた。
- 1868年 - 大城・稲福・目取真を大里間切に分離。あだん口・嶺・下百名が廃止。屋嘉部・富里・前川・仲村渠・仲間を新設して14集落となった。
- 1908年4月1日 - 島嶼町村制により玉城村となる。
- 1945年 - 一部知念村に編入される。沖縄戦で玉城村を含む知念半島全体が民間人収容所となる。玉城村では百名、仲村渠、下茂田を中心に米軍が巨大な収容所を運営した。
→「百名収容所」を参照
行政
[編集]- 村長(最終):大城晃
米軍基地
[編集]知念半島にあった米軍基地 | |||
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FAC6068 | 知念第1サイト | 知念第1陸軍補助施設 | B表: 陸自知念分屯地 |
FAC6069 | 知念第2サイト | 知念第2陸軍補助施設 | B表: 空自知念分屯基地 |
FAC6070 | 新里通信所 | 新里通信所 | 1974年に返還 |
FAC6071 | 知念補給地区 | 陸軍混成サーヴィス群地区 | 1974年に返還 |
現在の南城市玉城地域
[編集]合併後、住所は南城市の次に旧村名の「玉城」が頭につき「南城市玉城字○○」となった。字玉城でも「玉城字玉城」となる。 旧村庁舎は合併後、2018年に佐敷新里へ移転するまで南城市の本庁舎となった。移転後は敷地建物ごと「オキナワインターナショナルスクール」の南城キャンパスとなった。
教育
[編集]交通
[編集]路線バス
- 39番・百名線(沖縄バス)
- 40番・大里線(沖縄バス)
- 41番・つきしろの街線(沖縄バス)
- 50番・百名(東風平)線(琉球バス交通)
- 51番・百名(船越)線(琉球バス交通)
- 53番・志喜屋線(琉球バス交通)
- 54番・前川線(琉球バス交通)
- 82番・玉泉洞糸満線(琉球バス交通)
- 83番・玉泉洞線(琉球バス交通)
道路
公共施設
[編集]- 沖縄県立玉城少年自然の家(玉城)
観光・名所・旧跡
[編集]関連項目
[編集]- 沖縄県の廃止市町村一覧
- 水の郷百選:“グスクと水の里”たまぐすく