鹿児島県立出水高等学校
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鹿児島県立出水高等学校 | |
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北緯32度04分15秒 東経130度20分25秒 / 北緯32.070972度 東経130.340306度座標: 北緯32度04分15秒 東経130度20分25秒 / 北緯32.070972度 東経130.340306度 | |
過去の名称 |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鹿児島県 |
学区 | 北薩学区 |
併合学校 |
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校訓 | 誠実・敬愛・向上 |
設立年月日 | 1920年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D146210000235 |
高校コード | 46136K |
所在地 | 〒899-0213 |
鹿児島県出水市西出水町1700番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鹿児島県立出水高等学校(かごしまけんりつ いずみこうとうがっこう、英語: Izumi High School)は、鹿児島県出水市にある県立高等学校。
概要
[編集]- 校訓
- 「誠実・敬愛・向上」
- 校章
- 亀の甲に「高」の文字、それを鶴が羽を広げて支えている様子を表している。同校の所在する出水市が、全国有数のツル飛来地であるとともに、かつて島津分家の居城(亀ヶ城)があったことに由来する。また、太平洋戦争末期に、鹿児島城址に校舎を構えていた第七高等学校造士館(校章は鶴に「七高」)が戦火を免れるため、数年間出水市に移転してきていたことにもよる。
- 校歌
- 作詞は房内幸成、作曲は岡田忠彦による。歌詞は4番まであり、校名は歌詞に登場しない。1950年(昭和25年)に制定。
- 同窓会
- 「紫岳同窓会」と称し、北海道、東京、近畿、福岡、熊本、水俣・葦北、宮崎、鹿児島、鹿屋、薩摩川内、阿久根に支部を置く。
沿革
[編集]- 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1919年(大正8年)6月25日 - 出水郡出水町武本に「鹿児島県立出水中学校」が設置される。
- 修業年限を5年(現在の中学1年から高校2年の課程)、入学資格を尋常小学校(6年)を卒業した男子、定員を500名とする。
- 1920年(大正9年)
- 1933年(昭和8年)3月31日 - 寄宿舎を廃止。
- 1935年(昭和10年)3月25日 - 農作業室・堆肥舎等が完成。
- 1937年(昭和12年)12月27日 - 定員を500名から750名へ増員。各学年3学級編成となる。
- 1940年(昭和15年)12月28日 - 出水郡八ヶ町村から寄付により、教室・付属建物を増築。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行が前倒しされ、4年生(昭和16年入学)と5年生(昭和15年入学)の合同卒業式を挙行。
- 4月1日 - 学校の授業が1年間停止されることとなる。ただし、勤労動員は継続された。
- 9月 - 終戦により、授業が再開される。
- 12月1日 - 後援会により、 寄宿舎を再設置。
- 1946年(昭和21年)3月31日 - 定員を750名から1,250名へ増員。各学年5学級編成となる。修業年限が5年に戻る(4年で卒業することができた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容する。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われ、旧制中学校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校第二部」が発足。
- 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校も新制高等学校に継承され、1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生を在校生に残すのみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 旧制高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
- 1921年(大正10年)9月22日 - 「鹿児島県出水高等女学校」の設立が認可される。定員を320名とする。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
- 1932年(昭和7年)
- 1935年(昭和10年)12月18日 - 洗濯室が完成。
- 1943年(昭和18年)3月31日 - 定員を600名に増員。
- 1945年(昭和20年)3月31日 - 定員を800名に増員。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 高等女学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容する。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われ、高等女学校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校第三部」が発足。
- 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校も新制高等学校に継承され、1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生を在校生に残すのみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革により、出水市内の旧制中等教育学校3校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校」が発足。初代校長に遠藤力雄が就任。
- 旧・鹿児島県立出水実業学校および併設中学校を「第一部」とする。
- 旧・鹿児島県立出水中学校および併設中学校を「第二部」とし、本部が設置される。第二部長には旧・中学校校長の池城安伴が就任。
- 旧・鹿児島県立出水高等女学校および併設中学校を「第三部」とする。第三部長には旧・高等女学校校長の小田原文三郎が就任。
- 第一部・第二部・第三部ともに、旧制中等教育学校時代の校舎・生徒を継承していたため、この時点ではまだ男女共学ではなかった。
- 4月26日 - 開校式を挙行。
- 5月26日 - 父母と教師の会が発足。
- 4月1日 - 学制改革により、出水市内の旧制中等教育学校3校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県出水高等学校」が発足。初代校長に遠藤力雄が就任。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 4月1日 - 第一部が分離し、鹿児島県出水実業高等学校として独立。部制が廃止され、第二部と第三部が統合される。
- 6月13日 - 男女混成の学級を編成し、完全男女共学を実施。 統合完了までの間、旧・第二部および第三部の校舎を共用。
- 11月10日 - 統合に伴う増築工事の一環として北棟が完成。
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 商業科を設置。
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 「鹿児島県立出水高等学校」に改称(県の後に「立」が加えられる)。学区制が改定され、従来の学区に西長島村・阿久根市・高城西が加わる。
- 1962年(昭和37年)7月31日 - 1966年(昭和41年)5月30日までの間 - 鉄筋コンクリート造の新校舎(生徒館・本館)が完成。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 商業科を廃止。
- 1966年(昭和41年)7月13日 - 屋内運動場(体育館)が完成。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 3月1日 - 特別教室の改築が完成。
- 12月16日 - 武道場が完成。
- 1970年(昭和45年)
- 1977年(昭和52年)
- 1987年(昭和62年)3月10日 - 第2グラウンドを整備。
- 1990年(平成2年)
- 1994年(平成6年)3月1日 - 校訓記念碑を建立。
- 1995年(平成7年)2月 - 推薦入試を実施。
- 1997年(平成9年)- 鹿児島県立川内高等学校とのスポーツ交歓会を初めて実施。
- 2011年(平成23年)4月 - 学区の改定により、北薩学区となる。
主な行事
[編集]- 開校記念遠足
- 出水・川内高校スポーツ交歓会
- 開校記念行事として、遠足とスポーツ交歓会のどちらかを実施。
- これまで、1997年(第1回、於: 川内総合運動公園)、1998年(第2回、於: 出水市運動公園)、2000年(第3回、於: 出水市運動公園)に実施されている。
- 県内の高校同士によるスポーツ交歓会としては、「甲鶴戦」(県立甲南高校と県立鶴丸高校、1971年 - )、「中玉戦」(県立鹿児島中央高校と鹿児島市立鹿児島玉龍高校、1991年 - )、「錦武戦」(県立錦江湾高校と県立武岡台高校、1991年 - )に次いで5例目。
- 文化祭
- 体育祭
- 芸術鑑賞会
- 修学旅行
- キャリアガイダンス講演会(卒業生による講演会)
- 史蹟めぐり
- 強走歩大会
著名な出身者
[編集]- 出水憲 - 俳優
- 井上吉夫 - 国会議員(参議院)、閣僚(国務大臣北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官、国務大臣国土庁長官)、地方議員
- 大石康 - 柔道家
- 尾崎末吉 - 国会議員(衆議院)
- 桐野作人 - 歴史作家
- 小島義雄 - 陸上競技選手(砲丸投、ハンマー投)
- 執印テル - 地方議員
- 外木場義郎 - 野球選手(元広島東洋カープエース)
- 竹原信一 - 鹿児島県阿久根市長、地方議員
- 松岡真吾 - サッカー選手・指導者
- 先崎一 - 陸上自衛官(陸上幕僚長、統合幕僚会議議長・初代統合幕僚長)
- 村岡隆明 - 宮崎県えびの市長、地方議員
- 森枝卓士 - 写真家、ジャーナリスト
- 山下耕作 - 映画監督(東映)、緋牡丹博徒シリーズ(藤純子主演)など