佐多宗二
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佐多宗二 さた そうじ | |
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生年月日 | 1921年8月2日 |
出生地 | 日本 鹿児島県揖宿郡頴娃村(現鹿児島県南九州市) |
没年月日 | 1996年11月10日(75歳没) |
死没地 | 日本 鹿児島県鹿児島市 |
出身校 | 松原高等小学校卒業 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正五位 勲三等旭日中綬章 藍綬褒章 |
選挙区 | 鹿児島県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1975年9月21日 - 1977年7月3日 |
鹿児島県議会議長 | |
在任期間 | 1971年5月 - 1975年5月 |
在任期間 | 1965年3月 - 1969年3月 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1955年 - 1975年 |
佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日[1] - 1996年(平成8年)11月10日[1])は、日本の政治家。全国商工会連合会会長、参議院議員(1期)。
来歴
[編集]鹿児島県揖宿郡頴娃村(頴娃町[1]を経て現南九州市)出身。1936年(昭和11年)松原高等小学校を卒業[1]。酒造業、製飴業などを経て、1948年(昭和23年)に酒造業を法人化し有限会社佐多宗二商店を設立。
1955年(昭和30年)鹿児島県議会議員に初当選し[1]、1975年(昭和50年)まで務め、県議会議長[1]にも就任。田中角栄から声が掛かった事がきっかけで、1975年(昭和50年)自由民主党参議院議員に当選。1982年(昭和57年)全国商工会連合会会長に就任[1]。
1996年(平成8年)11月10日、心不全のため鹿児島県鹿児島市の別宅で死去、75歳[3]。死没日をもって正五位に叙される[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐多宗二『海より大きなくじら - ある男の一生 - 』 佐多宗二の出版を支える会、1994年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。