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山崎良純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山崎 良純(やまさき よしずみ、1856年12月7日(安政3年11月10日[1])- 1918年大正7年)10月4日[2])は、明治期の政治家実業家衆議院議員、鹿児島県会議長。旧姓・平川。

経歴

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薩摩国高城郡水引郷宮内村[3]鹿児島県[2]高城郡水引郷水引村東水引村薩摩郡東水引村[4]、川内町、川内市宮内町[5]を経て現薩摩川内市宮内町)で、鹿児島県会議員を務めた山崎良尚の息子として生まれた[3][5]。兄・良弼と共に西南戦争で薩摩軍として従軍したが[2][5]、戦後に父の勧めで上京した[5]。その後、帰郷して平川家の養嗣子となるが、兄が病死したため山崎家に復籍した[5]

1885年(明治18年)1月、鹿児島県会議員に選出され、1894年(明治27年)4月、第9代県会議長に就任した[2][3][4][5]。この間、川内製糸工場を設けて蚕業の振興に努め[2][3][5]、また、武満義雄らと川内川・大平橋の鉄橋架橋に尽力した[3][5]。その他、鹿児島授産会社社長も務めた[2]

1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(鹿児島県郡部、立憲政友会)で当選し[5][6]、衆議院議員に1期在任した[2][4]。議員在任中に鉱山事業で失敗したため政界を引退し、朝鮮で開拓事業を行ったが成果が上がらず、数年後に帰郷した[5]。晩年は隠遁生活を送った[5]

脚注

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  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第二十回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1904年、29頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』680頁。
  3. ^ a b c d e 『鹿児島県姓氏家系大辞典』460頁。
  4. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』474頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『郷土人系 上』81-82頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』38頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。