石橋辰之助
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石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年(明治42年)5月2日 - 1948年(昭和23年)8月21日)は、俳人。栗林一石路や橋本夢道とともにプロレタリア俳句運動に尽力した。別号に竹秋子。
略歴
[編集]東京府下谷区生まれ。安田工業学校電気科卒業。帝国劇場、帝都座の照明技師を経て[1]日本映画社の制作課長となる[2]。10代より「ホトトギス」に投句。1931年、「ホトトギス」を離れ水原秋桜子の「馬酔木」に参加、1933年同誌同人。当時は竹秋子の号を用い、特に山岳俳句において新局面を開く。
1937年、「馬酔木」を離れ新興俳句運動、プロレタリア俳句運動に参加、翌年「京大俳句」に参加。1939年には西東三鬼、三谷昭らと「天香」を創刊するが、1940年の「京大俳句」弾圧事件に連座、「天香」も終刊を余儀なくされる。
戦後は新俳句人連盟に参加し委員長を務めた。1948年、急性結核により死去、40歳没。句集に『山行』などがある。
句集
[編集]- 『山行』馬酔木叢書(沙羅書店)1935年
- 『家』(三省堂)1940年
- 『妻子』(七洋社)1948年
- 『山暦』(朋文堂)1951年
- 『定本・石橋辰之助句集』(俳句研究社)1969年
- 『家』(沖積舎・新装覆刻)1987年
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『俳句人』「石橋辰之助追悼號」1948年14号(新俳句人連盟)
- 「石橋辰之助」 デジタル版 日本人名大辞典+Plus、kotobank
外部リンク
[編集]- 現代俳句人名事典における石橋辰之助の俳句
- 石橋辰之助の句の鑑賞 - ウェイバックマシン(2014年4月16日アーカイブ分)(増殖する俳句歳時記)