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石河積翠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石河 積翠(いしこ せきすい、1738年元文3年) - 1803年8月20日享和3年7月4日))は、江戸時代の俳人、旗本。名は貞義(さだのり)、通称は右膳。別号に積翠園・積翠庵・雨簾。

来歴

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幕府直参の武士で俸禄は4500石であった[1]。石河貞貴の次男で、石河正章の孫に当たる[2]。先妻は高木正信の長女、後妻は高木正信の次女[2]。子に貞常、娘(石河貞通の妻)、養子に石河貞通(伊東長丘の五男)[2]

1760年(宝暦10年)家督を継承[2]。1762年(宝暦12年)より火事場見廻、1764年(明和元年)より定火消を勤め[2]、神田小川町に住んだ[1]。公務の間に俳諧をたしなみ、東柳窓燕志・二世桃隣(切部桃隣)に師事した[1]。1771年(明和8年)に職務を辞し、1785年(天明5年)に致仕[2]

1776年(安永5年)12月、二世桃隣が死去した際、太白堂の名跡と点印を保管し、1781年(天明元年)三世太白堂に伝えた[1]松尾芭蕉を尊崇し、芭蕉の句の注釈や蕉風の俳論を手がけた[1]。積翠は、宝井其角『雑談集』、向井去来去来抄』、各務支考『葛の松原』を俳論の基本に据え、『雑談集評』『去来抄評』『葛松原評』の俳諧三部評を著した[1]

著作

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  • 『芭蕉句選年考』
  • 『野ざらし紀行翠園抄』 - 門弟三化により[3]文政10年刊行。
  • 『雑談集評』
  • 『去来抄評』
  • 『葛松原評』

脚注

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  1. ^ a b c d e f 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第3巻』岩波書店、1984年10月、600頁。 
  2. ^ a b c d e f 寛政重修諸家譜 第2輯』(国民図書、1923年)p.782 巻第三百二十三
  3. ^ 市指定文化財 俳人三化と可都良の墓碑 | 東金市ホームページ”. www.city.togane.chiba.jp. 2021年10月30日閲覧。