石田民三
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いしだ たみぞう 石田 民三 | |
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1930年 | |
生年月日 | 1901年6月7日 |
没年月日 | 1972年10月1日(71歳没) |
出生地 | 日本 |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 映画 |
著名な家族 | 加戸野五郎(弟) |
石田 民三(いしだ たみぞう、1901年6月7日 - 1972年10月1日[1])は、日本の映画監督。
秋田県平鹿郡増田町(現・横手市)生まれ。1926年に『愛傷』で監督デビュー。東亜キネマでは主に剣戟映画を手がけていたが、帝キネ、新興キネマ時代に鈴木澄子主演の女性映画、明治もので頭角を現し、東宝京都時代には花街映画の傑作を立て続けに発表した。浪曲映画から戦後は観光映画まで、生涯に手がけた映画は約90本。戦後は京都の花街・上七軒で妻とお茶屋を営みながら北野をどりの作・演出を行った。[2]
主な監督作品
[編集]- 愛傷(1926年)東亜等持院[3]
- おせん(1934年)新興キネマ[4]
- お伝地獄(1935年)新興キネマ[3]
- 花火の街(1937年)J.O.スタヂオ[5]
- 夜の鳩(1937年)J.O.スタヂオ[5]
- 東海美女傳(1937年)J.O.スタヂオ
- 花ちりぬ(1938年)東宝[5]
- むかしの歌(1939年)東宝[5]
- 喧嘩鳶 前後篇(1939年)東宝[5]
- 花つみ日記(1939年)東宝[5]
- 化粧雪(1940年)東宝[1]
- 釣鐘草(1940年)東宝[5]
- をり鶴七変化 前後篇(1941年)東宝[3]
- 浪曲忠臣蔵(1943年)東宝[3]
- あさぎり軍歌(1943年)東宝[5]
- 三尺左吾平(1944年)東宝[5]
- 縁は異なもの(1947年)吉本プロ[3]
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 石田民三 - allcinema
- 石田民三 - KINENOTE
- 石田民三 - 日本映画データベース
- 石田民三 - 国立映画アーカイブ
- Tamizo Ishida - IMDb