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石田真二 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石田 真二(いしだ しんじ、旧姓:椎野、1863年12月7日文久3年10月27日) - 1927年昭和2年)9月10日[1])は、日本政治家新聞記者徳島県徳島市出身。

経歴

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椎野家の息子として名東郡上八万村(現在の徳島市上八万町)で生まれる。園坡漁夫、晴耕雨読楼主人、侃々子と号した。後に石田家を継いだ[2]

1881年(明治14年)、徳島県立徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)卒業。卒業後、普通新聞社(現在の徳島新聞社)の客員となった。後に名東郡会議員を経て徳島県会議員に当選した[2]

1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し当選したが、間もなく同年内に解散となり、第6回総選挙に再出馬したが落選した[2]

1927年(昭和2年)9月10日、65歳で没する。

著書

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  • 『阿波近古史談』(徳島県出版文化協会、1973年)

脚注

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』62頁。
  2. ^ a b c 『阿波人物志』p17

参考文献

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  • 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
  • 『徳島市史』徳島市、1973年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。