石田英勝
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石田 英勝(いしだ ひでかつ、1908年(明治41年)- 1945年(昭和20年)4月)は、日本の飛込競技選手、陸軍軍人。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。
経歴
[編集]1908年、石川県に生まれる[1]。慶應義塾大学を卒業し[2]、日本飛行学校に入学して二等飛行士となる[1]。その後、アジア飛行学校に勤めながら志村弘の指導の下で飛込競技に励む[1][3]。1931年の全日本選手権では高飛込で優勝した[1]。1932年のロサンゼルスオリンピックでは飛込競技の日本代表として高飛込に出場し、選択飛込では優秀な成績を残すが、規定飛込に失敗したため75.92点で8位(最下位)に終わる[4][5]。既に美貌を買われて日本映画フィルム社からスカウトを受けていた石田は水泳を題材とした映画『水上制覇のかげに』の主演を務めるが、俳優になることはなかった[2][6]。その上、翌年には野球についての映画の撮影のために無許可で飛行機を飛ばしたことで罪に問われた[2]。第二次世界大戦中は陸軍の特別飛行隊に所属し、1945年2月にフィリピンで36歳で戦死した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 大阪毎日新聞社, 東京日日新聞社 編『毎日年鑑 昭和11年』大阪毎日新聞社、1935年 475ページ
- ^ a b c d Hidekatsu Ishida Oympedia(2023年8月1日閲覧)
- ^ 『自治産業教化理想郷 [茨城県,千葉県,静岡県,熊本県,大分県,福岡県]』帝国聯合通信社、1937年 大分県・北海部郡5ページ
- ^ Platform, Men Oympedia(2023年8月1日閲覧)
- ^ 吉住晋策, 石川太郎 共著『オリンピック大会と日本』万有社、1951年 62ページ、63ページ
- ^ 「海外映画新潮」『キネマ週報 = The movie weekly』キネマ週報社、1932年10月 14ページ