練馬区立石神井中学校
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練馬区立石神井中学校 | |
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北緯35度44分28秒 東経139度35分45秒 / 北緯35.74105度 東経139.59596度座標: 北緯35度44分28秒 東経139度35分45秒 / 北緯35.74105度 東経139.59596度 | |
過去の名称 | 板橋区立石神井中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 練馬区 |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C113212000143 |
所在地 | 〒177-0045 |
東京都練馬区石神井台1丁目32-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
練馬区立石神井中学校(ねりまくりつ しゃくじいちゅうがっこう)は、東京都練馬区にある公立の中学校である。現地では主に「石中(しゃくちゅう)」の略称で呼ばれる。
概要
[編集]東京都の公立中学校の中では生徒数が上位5%に入る大規模校であり、これは練馬区内では大泉中学校に次いで、本校と石神井西中学校の3校のみである[1]。卒業生は計17,000人を超える[2]。
沿革
[編集]学校教育法の施行にともなって練馬区[注釈 1]で開設された中学校13校の1つ[3]。
- 1947年(昭和22年)
- 5月1日 - 東京都板橋区立石神井中学校開校(板橋区立石神井小学校建物内)。
- 8月1日 - 練馬区独立により「東京都練馬区立石神井中学校」と校名変更。
- 1949年(昭和24年)
- 1952年(昭和27年)9月28日 - 校歌制定(作詞・草野心平、作曲・伊藤翁介)。
- 1960年(昭和35年)6月22日 - 体育館兼講堂落成。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 練馬区立石神井南中学校開校にともない、学区域を一部変更。
- 1962年(昭和年37)9月12日 - プール落成。
- 1960年代中頃(昭和40年前後頃) - 校庭だった部分に東京海上の体育館・運動場(現東京海上日動石神井スポーツセンター)開設[4]。
- 1965年(昭和40年) - 校庭埋没不発弾撤去。
- 1972年(昭和47年) - 校庭埋没不発弾撤去。文化祭を生徒会が初めて主催。
- 1973年(昭和48年)12月6日 - 自体校給食開始。
- 1974年(昭和49年)3月 - 現校舎完成。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 練馬区立関中学校開校にともない、学区域を一部変更。
- 1978年(昭和53年)4月1日 - 練馬区立三原台中学校開校にともない、学区域を一部変更。
- 1978年(昭和53年) - 生徒の提案により、運動会から体育祭に。
- 2007年(平成19年) - モデルトイレ完成。
- 2010年(平成22年)6月 - 体育祭の競技から『綱引き』が消え、新しく『棒引き』が追加された。
部活動
[編集]- 野球部
- サッカー部
- 男子軟式テニス部
- 女子軟式テニス部
- 男子バスケットボール部
- 女子バスケットボール部
- 女子バレーボール部
- 女子ソフトボール部
- 陸上競技部
- 卓球部
- 吹奏楽部
- 演劇部
- アート部
- 陸上部
- バドミントン部
- 家庭部
- 剣道部
- 茶道部
PTA
[編集]親父の会と呼ばれる父親達だけで運営されている団体がある。毎年石神井公園で行われる照姫祭などに出店して(フランクフルトの販売など)、学校と地域との繋がりを大切にしている。また、その売り上げは中学校で必要な物を買う時などに使われる。
通学区域
[編集]北は西武池袋線、南は石神井川に挟まれ、富士街道沿いに東西に延びた学区となっている。
進学前小学校
[編集]区立中学校選択制度があり区内の遠方から通学している生徒も例年多いが[5]、学区指定による小学校は以下の通り。※印は小中一貫教育グループの構成校[6]。
学区内の主な施設
[編集]交通
[編集]著名な関係者
[編集]卒業生
[編集]元教員
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “中学校(学校別)” (xlsx). 令和元年度 東京都公立学校一覧. 東京都教育委員会 (2020年10月24日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ 櫻井弘. “校長挨拶”. 練馬区立石神井中学校. 2020年4月19日閲覧。
- ^ 練馬区史編さん協議会 編「中学校の新設」『練馬区史 現勢編』1981年、969-972頁。
- ^ 東京海上日動公式HP及び「国土地理院1961~64年、66年空中写真」より
- ^ “第3次練馬区立中学校選択制度検証委員会資料集” (pdf). 練馬区 (2019年12月11日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ “練馬区教育要覧 令和元年版” (pdf). 練馬区. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “俺の中学校卒業文集より”. 川﨑麻世オフィシャルブログ『麻世仲の猫たち』 (2011年4月14日). 2014年9月7日閲覧。
注釈
[編集]- ^ 開設当初は板橋区であったが、すでに練馬区の独立設置へ向けて準備中であった。