石肇
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石 肇(せき ちょう、生没年不詳)は、五胡十六国時代後趙の皇族。後趙の初代皇帝石勒の弟。
生涯
[編集]詳細な事績は不明であるが、兄の石勒に従っていたようである。
石勒が既に高貴な身分となっていた頃、軍中に身を置いていた石肇は自らの意思を表現することが不自由となり、兵士により石勒のもとへ送還された。石勒は彼を哀れに思い、建威将軍に任じたという。
彼には才能が無かったので、石勒はいつも優秀な参佐を選んでは補佐を委ねた。また、石勒は広川出身の劉典を招聘した時、その兄の娘を石肇に嫁がせたが、石肇は彼女の事を甚だ恐れたという。
やがて長楽郡太守に任じられたが、職務をこなしている時、門に進んではいつも動き回って「阿劉(妻の劉夫人の事。阿とは敬称)よ教えてくれ。これでよいのであろうか、よくないのであろうか」と言っていた。当時の人はこの事を謡にして、石肇を笑いものとした。
没年は不詳である。
参考文献
[編集]- 『十六国春秋』後趙録