石谷成勝
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時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 元和6年(1620年) |
死没 | 貞享4年4月28日(1687年6月7日) |
別名 | 頼信、兵四郎、市右衛門 |
戒名 | 可信 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 | 父:石谷政勝、母:青木高頼の娘 |
兄弟 | 石谷成勝、女子(春日家定の妻)、三空 |
子 | 養子:石谷清長 |
石谷 成勝(いしがや なりかつ、元和6年(1620年) - 貞享4年4月28日(1687年6月7日))は、江戸時代の旗本。
生涯
[編集]寛永7年6月10日(1630年7月19日)、徳川家光に拝謁する。寛永13年12月27日(1637年1月23日)、大番となる。承応元年(1652年)、二丸より成勝は水泳を台覧され時服を賜った。万治元年7月19日(1658年8月17日)新番に移った。寛文3年4月(1663年)、徳川家綱が日光東照宮に詣でるときに従った。同年12月11日(1664年1月9日)、父の石谷政勝の跡を継ぎ、寛文4年9月30日(1664年11月17日)組頭となり、同年12月25日(1665年2月9日)、廩米200俵を加増された。延宝元年4月3日(1673年5月19日)、納戸頭になり、同年12月28日(1674年2月3日)、布衣の着用を許された。天和元年8月7日(1681年9月18日)職を辞し、小普請となった。
石谷成勝の跡は、同族である石谷清亮の子・石谷清長が養子として継いだ。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』