石谷榮清
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 延宝9年(1681年) |
死没 | 享保9年7月19日(1724年9月6日) |
別名 | 十郎右衛門、十蔵 |
戒名 | 祐山 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 | 父:石谷清成、母:稲垣信濃守家臣稲垣重章の娘 |
兄弟 | 石谷榮清、女子(高木爲治の妻)、女子(京極高沖の妻)、女子(稲垣重治の妻) |
妻 | 松平源太夫定隆の娘 |
子 | 石谷眞清、女子(徳永昌主の妻) |
生涯
[編集]元禄16年(1703年)7月22日、祖父の石谷武清の家を継ぎ小普請となった。(父である石谷清成は、これ以前に死去している。) 同年8月12日、初めて徳川綱吉に拝謁した。宝永2年(1705年)5月、甲斐国の領地を遠江国榛原・城東両郡に移された。享保3年(1718年)3月16日、御小姓組の番士となった。享保9年(1724年)5月、下総国岡田郡の領地を割って、下野国河内郡に移された。
子女
[編集]- 石谷眞清
- 父である榮清の遺跡を継いだ。
- 女子
- 徳永頼母昌主の妻。
参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜14』