石谷清正
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時代 | 戦国時代-江戸時代前期 |
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生誕 | 天正16年(1588年) |
死没 | 明暦2年10月13日(1656年11月28日) |
別名 | 友之助 |
戒名 | 宗淳 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 | 父:石谷清定、母:久嶋與平の娘 |
兄弟 | 石谷清平、女子(野間政次の妻)、女子(久嶋權右衛門の妻)、石谷清正、石谷貞清 |
妻 | 松井石見(尾張徳川家家臣)の娘 |
子 | 石谷清亮 |
石谷 清正(いしがや きよまさ、天正16年(1588年) - 明暦2年10月13日(1656年11月28日))は、江戸時代初期の旗本。石谷清定の次男。通称は友之助 。
生涯
[編集]父・清定の跡を継ぐ。慶長7年(1602年)、徳川家康に仕え御小姓となる。その後、御徒の頭となり、寛永10年(1633年)12月27日、500石を賜る。寛永16年(1639年)5月13日、致仕する。致仕する前に350石を賜っており、武蔵国多摩、上総国武射、下総国香取、甲斐国山梨四郡の知行地、合計1100石を所領とした。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』