硫黄島の砂
表示
硫黄島の砂 | |
---|---|
Sands of Iwo Jima | |
監督 | アラン・ドワン |
脚本 |
ジェームズ・エドワード・グラント ハリー・ブラウン |
原案 | ハリー・ブラウン |
製作 | エドマンド・グレンジャー |
出演者 | ジョン・ウェイン |
音楽 | ヴィクター・ヤング |
撮影 | レジー・ラニング |
編集 | リチャード・L・ヴァン・エンガー |
配給 |
リパブリック・ピクチャーズ リパブリック日本支社 / NCC |
公開 |
1949年12月14日 1952年6月19日 |
上映時間 | 100分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | 100万ドル |
配給収入 |
400万ドル[1] 1億1436万円[2] |
『硫黄島の砂』(いおうじまのすな、Sands of Iwo Jima)は、1949年製作のアメリカ映画である。
略歴・概要
[編集]太平洋戦争末期の硫黄島の戦いを題材としている。硫黄島の星条旗を実際に立てた兵士たちが出演していることでも有名。また、硫黄島の戦いで第3海兵師団を率いたグレーブス・アースキン将軍がアドバイザーとして撮影に参加している。
ロケーション撮影は、カリフォルニア州ロサンゼルスのCBSスタジオセンター、同州サンディエゴ郡オーシャンサイドのアメリカ海兵隊キャンプペンドルトン基地、同州サウザンドオークス、同州サンタカタリナ島で行われた。
主演のジョン・ウェインはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、他にも脚色賞、編集賞、音響賞にノミネートされたが、いずれも受賞はしていない。ウェインは本作で、米国の雑誌『フォトプレイ』のフォトプレイ映画賞男優賞を受賞した。
あらすじ
[編集]アメリカ海兵隊の軍曹であるストライカーは、ニュージーランドのパエカカリキ基地で部下たちを厳しく訓練していた。やがて、ストライカーの隊も前線への移動が決まり、タラワの戦い、次いで硫黄島の戦いに参加することとなる。しかし、日本軍の抵抗の前に1人また1人と隊の仲間たちは倒れていく。そして硫黄島で摺鉢山山頂への偵察を行った時、ついにストライカーも撃たれてしまい、仲間が駆け寄ったときには既に息が無かった。悲しみに暮れる仲間たちの後ろでは今まさに星条旗が掲げられようとしていた。
キャスト
[編集]役名 | 俳優 | 日本語吹き替え | |
---|---|---|---|
東京12ch版 | PDDVD版 | ||
ジョン・M・ストライカー | ジョン・ウェイン | 松宮五郎 | 松井範雄 |
ロバート・C・ダン | アーサー・フランツ | 鈴木泰明 | 藤富兵吉 |
アリソン・ブロムリー | アデル・マーラ | 富田千代美 | 中神亜紀 |
アル・トーマス | フォレスト・タッカー | 小林修 | 藤田周 |
ピーター・コンウェイ | ジョン・エイガー | 仲村秀生 |
- 東京12ch版:初回放送1968年1月19日『金曜洋画劇場』
スタッフ
[編集]- 監督 : アラン・ドワン
- 原案・脚本 : ハリー・ブラウン
- 撮影 : レジー・ラニング
- 脚本 : ジェームズ・エドワード・グラント
- 編集 : リチャード・L・ヴァン・エンガー
主な受賞歴
[編集]アカデミー賞
[編集]脚注
[編集]- ^ Finler, Joel Waldo (2003) (英語). The Hollywood Story. Wallflower Press. p. 358. ISBN 978-1-903364-66-6 2024年2月12日閲覧。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)97頁
関連項目
[編集]- 硫黄島の戦い
- タラワの戦い
- 『硫黄島の星条旗』
- 『父親たちの星条旗』
- アカデミー原案賞
- フォトプレイ(en:Photoplay)
- CBSスタジオセンター(en:CBS Studio Center)
- オーシャンサイド (カリフォルニア州)
- アメリカ海兵隊キャンプペンドルトン基地(en:Marine Corps Base Camp Pendleton)
- サウザンドオークス
- サンタカタリナ島