磯原町
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いそはらまち 磯原町 | |
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廃止日 | 1956年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 磯原町、大津町、平潟町、関南村、関本村、南中郷村 → 茨城市 (即日改称し北茨城市になる) |
現在の自治体 | 北茨城市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 多賀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 関本村、関南村、南中郷村、高萩市 |
磯原町役場 | |
所在地 | 茨城県多賀郡磯原町大字豊田 |
座標 | 北緯36度48分07秒 東経140度45分04秒 / 北緯36.80189度 東経140.75103度座標: 北緯36度48分07秒 東経140度45分04秒 / 北緯36.80189度 東経140.75103度 |
ウィキプロジェクト |
磯原町(いそはらまち)は茨城県多賀郡にかつて存在した町である。
地理
[編集]歴史
[編集]年表
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、多賀郡北中郷村(きたなかごうむら)が発足。
- 1897年(明治30年)2月25日 - 磯原駅が開業。
- 1925年(大正14年)1月1日 - 北中郷村は町制施行・改称し磯原町となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 華川村は磯原町と合併し磯原町が発足。
- 1956年(昭和31年)3月31日 - 磯原町は大津町・平潟町・南中郷村・関南村・関本村とともに合併し、茨城市が発足。同日、改称し北茨城市となる。磯原町は消滅。
行政区域変遷
[編集]- 変遷の年表
磯原町町域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧磯原町町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の町村が発足[1]。
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1925年(大正14年) | 1月1日 | 北中郷村は町制施行・改称し磯原町となる。 |
1955年(昭和30年) | 4月1日 | 華川村は磯原町と合併し磯原町が発足。 |
1956年(昭和31年) | 3月31日 | 磯原町は大津町・平潟町・南中郷村・関南村・関本村とともに合併し茨城市が発足。磯原町は消滅。
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- 変遷表
磯原町町域の変遷表 | ||||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
豊田村 | 北中郷村 | 大正14年9月1日 磯原町に 町制改称 |
昭和30年4月1日 磯原町 |
昭和31年3月31日 茨城市 即日改称 北茨城市 |
北茨城市 | 北茨城市 | ||
磯原村 | ||||||||
大塚村 | ||||||||
木皿村 | ||||||||
上相田村 | ||||||||
内野村 | ||||||||
下相田村 | 華川村 | 華川村 | ||||||
車村 | ||||||||
中妻村 | ||||||||
小津田村 | 明治元年 上小津田村 | |||||||
明治元年 下小津田村 | ||||||||
小豆畑村 | ||||||||
臼場村 | ||||||||
花園村 |
大字
[編集]- 小豆畑(あずはた)
- 磯原(いそはら)
- 臼場(うすば)
- 内野(うつの)
- 大塚(おおつか)
- 上小津田(かみこつだ)
- 上相田(かみそうだ)
- 木皿(きさら)
- 車(くるま)
- 下小津田(しもこつだ)
- 下相田(しもそうだ)
- 豊田(とよだ)
- 中妻(なかつま)
- 花園(はなぞの)
町長
[編集]人口・世帯
[編集]人口
[編集]総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 2,932 |
1902年(明治35年) | 4,007 |
1920年(大正 9年) | 10,265 |
1924年(大正13年) | 9,089 |
1935年(昭和10年) | 9,342 |
1950年(昭和25年) | 13,692 |
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世帯
[編集]総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 2,427 |
1924年(大正13年) | 2,225 |
1935年(昭和10年) | 2,064 |
1950年(昭和25年) | 2,756 |
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交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809より