磯野行尚
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磯野 行尚(いその ゆきなお、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。通称平三郎。
磯野行信の子で石田三成に仕えた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで敗れた三成は、人目につくのを避けるため磯野平三郎、塩野清助、渡辺勘平のわずか3名を連れて大谷山に逃れ、平三郎は最後まで付き従った [1]。
その後は藤堂高虎に仕え、慶長20年(1615年)5月6日、大坂夏の陣で豊臣方に与した増田盛次を討ち取った(八尾・若江の戦い) [2]。
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