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社戸 大口(こそへ/こそべ の おおくち[1])は、飛鳥時代の人物。姓は臣。
社戸氏(許曽部氏)は阿倍氏の同族[2]。大口を許曽部黒古の子とし、子に陽麻呂がいたとする系図がある[3]。
天武天皇元年(672年)の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)側につき、7月13日に近江国の安河の浜で敗れて捕らえられた。大口については他に知られず、捕らえられて以降の動静は不明。
- ^ 旧仮名遣いでの読みは「こそへのおほくち」
- ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年
- ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻5,阿倍(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)