祝宮静
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祝 宮静(ほうり みやしず、1905年12月24日[1] - 1979年4月20日[2])は、日本の民俗学者。
来歴
[編集]大分県宇佐市出身。京都の下鴨神社の宮司の長男として誕生する。父は子爵園池家からの養子、母方の家は大分県杵築の社家であった[3]。1928年國學院大學卒業[4][5]。その後、國學院大學助手[6]、講師[7]などを勤め、1933年より渋沢敬三のアチック・ミューゼアムで水産史関係資料を研究する[4][8]。東京農業大学教授[9][10]を1947年に辞職し郷里に帰る。[要出典]文化財保護委員会事務局から民俗資料の保護の担当者の人選を求められた渋沢の推薦により、1952年に文化財保護委員会事務局記念物課民俗資料係長[11]、のち主任文化財調査官となり、1967年まで勤める[12]。その後、名城大学法学部教授[13]。 1957年「明治初年における「旧弊取直し」運動とその歴史的意義」で國學院大學文学博士[14][15]。
著書
[編集]- 『神社の経済生活 律令時代』木村天真堂 1931
- 『日本古代史概説 第1分冊』文典堂 1935
- 『神社と産業 特に漁業との関係に就て』皇典講究所国学院大学講話集 1941
- 『豆州内浦漁民史料の研究』隣人社 1966
- 『民俗資料入門』岩崎美術社 民俗民芸双書 1971
- 『日本の民俗行事』桜楓社 1972
- 『神道・神社・生活の歴史』祝宮靜博士古希記念著作集刊行会 1976.8
共編
[編集]- 『アチックミユーゼアム彙報第18 近江国野洲川簗漁業史資料』編 アチックミューゼアム 1937
- 『日本の生活文化財』編 第一法規出版 1965
- 『日本民俗文化財事典』関敬吾、宮本馨太郎共編集 第一法規出版 1979
参考文献
[編集]- 『民俗資料入門』著者略歴とあとがき
- 奥野高廣「祝宮静博士古稀記念著作集「神道・神社・生活の歴史」」『國學院雜誌』第78巻第4号、1977年、68-70頁。
- 菊地暁『柳田国男と民俗学の近代―奥能登のアエノコトの二十世紀』吉川弘文館、2001年。ISBN 4642075445。
- 渋沢史料館 編『特別展図録 屋根裏のはくぶつかん―渋沢敬三と民俗学』渋沢史料館、1988年。 NCID BN03634704。
- 祝宮静『豆州内浦漁民史料の研究』隣人社、1966年。
- 祝宮静「回想‐その1」『民具マンスリー』第2巻第8号、日本常民文化研究所、1969a、1-2頁、ISSN 0912-3253。
- 祝宮静「回想‐その2」『民具マンスリー』第2巻第9号、日本常民文化研究所、1969b、1-2頁。
- 『國學院大學一覧』國學院大學、1929年、p.125
脚注
[編集]- ^ 祝宮静 1966奥付
- ^ 朝日新聞1979年4月21日夕刊(東京)、p.11
- ^ 菊地暁 2001, pp. 26–29
- ^ a b 奥野高廣 1977
- ^ 『國學院雑誌』第34巻第5号、國學院大學、1928年、94頁、ISSN 0288-2051。
- ^ 『國學院大學一覧 昭和4年』國學院大學、1929年11月20日、124頁。NDLJP:1710890/69。
- ^ 『國學院大学一覧 昭和10年』1935年、125頁。NDLJP:1710942/73。
- ^ 渋沢史料館 1988, pp. 7, 15
- ^ 『東京農業大学五十年史』(東京農業大学、1940年)の「東京農業大学教職員」(昭和14年12月末日現在)に「講師」として祝の名前が出ている(p.32)。
- ^ 祝宮静「祈年祭の現代的意義」『紙業月報』第21巻第3号、東京紙商同業組合事務所、1943年、2-7頁。では、「東京農業大学教授」と記されている。
- ^ 大蔵省印刷局編『職員録 昭和28年』大蔵省印刷局、1953年、p.263
- ^ 祝宮静 1969b
- ^ 大学職員録刊行会編『全国大学職員録 昭和42年版』廣潤社、1967年、p.1217
- ^ “書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2017年3月7日閲覧。
- ^ 『官報』第9108号、昭和32年5月8日、p.193.