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神村信五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神村 信五郎[1][2](かみむら しんごろう[3]、旧姓・1858年1月16日安政4年12月2日〉[4] - 没年不明)は、日本商人(神村屋、太物及び綿ネル[3]、染物、足袋[5])、実業家名望家[6]政治家姫路市会議員、同議長[2][7])、姫路市参事会[7]姫路商業会議所会頭[8]。族籍は兵庫県平民[4][9]

人物

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兵庫県人・辻榮次郎の五男[10][11]1879年、先代きくの入夫となり家督を相続した[11]。銀行会社の重役として知られた[4]。姫路商業銀行常務[9]、同専務取締役[2][4][10]、姫路銀行、山陽綿各取締役[9][11]、姫路製綿社長などをつとめた[4][9]。住所は兵庫県姫路市福中町[9]

家族・親族

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神村家
  • 妻・淑子(1874年 - ?、鹿児島平民、松田吉右衛門の妹)[9]
  • 長男・永太郎(1881年 - ?)[4][9]
    • 同妻・房江(1883年 - ?、兵庫平民、浅井彌七の長女)[4][9]
  • 二男・定二郎(1884年 - ?)[4][9]
    • 同妻・とき子(1897年 - ?、大阪、浅羽勇四郎の四女)[4][9]
  • 長女・つい(1879年 - ?、兵庫平民、神村卯平の妻)[4]
  • 二女・のぶ(1886年 - ?、其の夫敬と共に分家する)[9]
  • 三女・ふみ(1891年 - ?、鳥取士族、勝部亮の妻)[9]
    • 虎太郎(1901年 - ?)[9]
      • 同妻・すみ(1903年 - ?、兵庫、八尾利一郎の二女)[10]
    • 文雄(1911年 - ?)[9]
    • 信一(1922年 - ?)[10][11]
    • 定男(1929年 - ?)[10]
  • ひ孫
    • 昭信(1929年 - ?)[11]
親戚
  • 神村卯平(姫路商業銀行取締役)[4]

脚注

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  1. ^ 『大日本紳士鑑』兵庫県姫路市325頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月27日閲覧。
  2. ^ a b c 『兵庫県官民肖像録』109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月11日閲覧。
  3. ^ a b 『日本現今人名辞典選』か90頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』か148 - 149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月13日閲覧。
  5. ^ 『関西実業名鑑 明治40年』姫路市(播磨国)48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
  6. ^ 『帝国名望家大全』136頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月16日閲覧。
  7. ^ a b 『姫路市史 市制施行三十年記念』171頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
  8. ^ 『姫路商工案内』24 - 25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第6版』か128頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。
  10. ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』カ133頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月13日閲覧。
  11. ^ a b c d e 『人事興信録 第9版』カ121頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月9日閲覧。

参考文献

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  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 橋本治策編『関西実業名鑑 明治40年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
  • 『兵庫県官民肖像録』博道社、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 播磨史談会編『姫路市史 市制施行三十年記念』姫路市、1919年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『姫路商工案内』姫路商業会議所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。