英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区
神永 市兵衛(かみなが いちべえ、生没年不詳)は、江戸時代前期の一揆指導者[1]。
下野国都賀郡壬生藩領上稲葉村の農民[2]。壬生藩の7品の新規運上の免除を求めて、元禄8年(1695年)石井伊左衛門や須釜作次郎と共に11ヵ村の総代として越訴を企てたが未遂に終わり、死罪となった[1][2]。