神茂
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有限会社神茂 Nihonbashi Kanmo | |
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神茂本店 (2017年12月9日撮影) | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町一丁目11番8号 |
座標 | 北緯35度42分40.23秒 東経139度47分45.33秒 / 北緯35.7111750度 東経139.7959250度座標: 北緯35度42分40.23秒 東経139度47分45.33秒 / 北緯35.7111750度 東経139.7959250度 |
開業日 | 月曜 - 土曜日 |
閉業日 | 日曜日・祝日 |
正式名称 | 有限会社神茂 |
施設所有者 | 代表取締役 井上 卓 |
営業時間 | 平日 午前10時 - 午後6時、土曜日 午前10時 - 午後5時 |
前身 | 神崎屋長次郎 |
最寄駅 | JR総武線新日本橋駅、都営地下鉄浅草線人形町駅、東京メトロ銀座線三越前駅、東京メトロ日比谷線人形町駅、東京メトロ東西線日本橋駅 |
最寄IC | 首都高速江戸橋出入口 |
外部リンク | https://www.hanpen.co.jp/ |
有限会社神茂(かんも)は、東京都中央区日本橋室町一丁目に本社を置くはんぺん・蒲鉾を中心にした食品会社の店舗である。
概要
[編集]1688年(元禄元年)に、大阪神崎川(現・大阪市淀川区新高)出身の神崎屋長次郎が、現在地・日本橋に「はんぺん」・「蒲鉾」の製造販売店を開いたのが始まり。その後、十五代目より井上姓に改められたが、現在、十八代目井上卓により伝統の江戸の味を継承している[1]。
沿革
[編集]- 1656年(明暦2年) - 初代神崎屋長次郎、大阪より江戸に出て漁業に従事。
- 1661年(寛文元年) - 二代目神崎屋長右衛門継承。
- 1674年(延宝2年) - 三代目神崎屋六右衛門継承。
- 1682年(天和2年) - 四代目神崎屋長右衛門継承。
- 1683年(天和3年) - 五代目神崎屋新右衛門継承、鮫を使い半ぺんを製造。
- 1716年(享保元年) - 六代目神崎屋長右衛門継承。
- 1717年(享保2年) - 七代目神崎屋長右衛門継承。
- 1745年(延享2年) - 八代目神崎屋長右衛門継承。
- 1752年(宝暦2年) - 九代目神崎屋長右衛門継承。
- 1769年(明和6年) - 十代目神崎屋長右衛門継承。
- 1786年(天明6年) - 十一代目神崎屋長右衛門継承。
- 1819年(文政2年) - 十二代目神崎屋長右衛門継承、後に十三代目神崎屋茂三郎に改める。
- 1912年(明治45年) - 十四代目神崎屋茂三郎継承。
- 1926年(大正15年) - 十五代目井上茂三郎継承、戦時下統制により一時商売中断。
- 年代不詳 - 十六代目井上茂三郎継承、終戦後商売再開。
- 1991年(平成3年) - 十七代目井上茂三郎継承、神茂ビル竣工。
- 年代不詳 - 十八代目井上 卓継承[1]。
営業情報
[編集]主な商品
[編集]- 半ぺん - 手取り半ぺん、半ぺんあられ、半月
- 蒲鉾・伊達巻 - なると、三色チーズ、伊達巻、蒲鉾
- さつま揚げ - 養老揚、利久揚、上揚やさい、上揚しろ、さつま揚
- 野菜・海鮮揚げ - 大判生姜天
- おでん種 - つみれ、玉子、大根、竹わぶ、結び昆布、すじ、焼竹輪、揚ボール、きんちゃく、おでん、だしの素
- 豆・煮物・巻物 - 煮こごり、にしん昆布巻、金時豆、ふき豆[3]
交通アクセス
[編集]- 鉄道
- JR総武線 - 新日本橋駅より徒歩5分
- 都営地下鉄浅草線 - 人形町駅より徒歩7分
- 東京メトロ銀座線 - 三越前駅より徒歩3分、東京メトロ日比谷線 - 人形町駅より徒歩7分、東京メトロ東西線 - 日本橋駅より徒歩6分
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『東京人』織田桂「日本橋三越で買える江戸東京の銘品 にんべん/山本海苔店/榮太樓總本鋪/神茂/日本橋鮒佐/弁松総本店」2004年4月
- 『東京人』前島純子「老舗めぐり 職人の技、その名品を拝見 神茂/村田眼鏡舗/山本山/黒江屋/山本海苔店/千疋屋総本店/榛原/江戸屋/うぶけや/さるや/竺仙/伊場仙/日本橋西川/榮太樓總本鋪/木屋/にんべん/小津和紙」2010年11月