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福むら貴美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

福むら 貴美子(ふくむら きみこ、1897年9月21日- 1962年5月3日)は、日本の女性歌手・作曲家。

戦前にうぐいす芸者歌手、戦後は作曲家として活動した。[1]

来歴

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1897年(明治30年)9月21日、東京府東京市で生まれる。[2]本名、岸上 きみ。[3]旧姓は、藤本。母親は音曲寄席師の立花家朝治であり、幼少期から寄席の高座に度々出演していた。[4]1910年(明治43年)頃、立花家歌子を名乗り、三遊派に加わる。[5]娘音曲手踊りとして岸沢式多津と並び称され、人気を二分した。[6]

京都で学校の課程を修める。清元哥沢小唄、新小唄などを次々と究め、その美声をもって知られた。大正中期からは哥沢に転向し、寄席の出演よりは専ら哥沢寅の名で活動することが多くなる。

1932年(昭和7年)1月、ビクター実演大会にて、女馬子・淀川を披露。同年、日本コロムビアから歌手デビューし、その年の内に日本ビクターに移籍。1934年(昭和9年)まで流行歌手・民謡歌手として活動した。

その後は岸上 美葵などの変名を名乗って戦前の歌謡界で活躍し、1940年(昭和15年)に福村 貴美子の名で作曲家に転身。戦後は芸名を本名の岸上 きみで統一し、大倉喜七郎の片腕として大和楽の創流に参加。立唄・指導者として普及に尽力、『狐』『傘の内』などを作曲した。[3]

1962年(昭和37年)5月3日、死去。[3]

代表曲 

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 歌唱[7]

昭和7年 『弥太郎笠の唄』

     『四條オンパレード』

昭和8年 『女馬子』『祖国日向』

     『湊川小唄』『関の五本松』

昭和9年 『樺太民謡』

 作曲[8]

昭和13年頃 『狐』『隅田川』『夕顔棚』

昭和15年頃 『傘の内』

昭和22年 『河』『お祭り』『鐘』

出典

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  1. ^ 20世紀日本人名事典. “岸上 きみ(キシガミ キミ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
  2. ^ 20世紀日本人名事典. “岸上 きみ(キシガミ キミ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
  3. ^ a b c https://kotobank.jp/word/%E5%B2%B8%E4%B8%8A%20%E3%81%8D%E3%81%BF-1643253
  4. ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “立花家 歌子(タチバナヤ ウタコ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
  5. ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “立花家 歌子(タチバナヤ ウタコ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
  6. ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “立花家 歌子(タチバナヤ ウタコ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月24日閲覧。
  7. ^ %E7%A6 %8F%E3%82%80%E3%82%89%E3%80%80%E8 %B2%B4%£7%BE%8E%E5%AD%90 - 国立国会図書館サーチ”. iss.ndl.go.jp. 2023年10月23日閲覧。
  8. ^ ディスコグラフィー | 大和楽公式サイト Yamatogaku Official Website”. yamatogaku.jp. 2023年10月23日閲覧。

外部リンク

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https://kotobank.jp/word/%E5%B2%B8%E4%B8%8A%20%E3%81%8D%E3%81%BF-1643253