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福原 範輔(ふくはら のりすけ、文政9年(1826年) - 明治26年(1893年)9月2日)は幕末期の岩国藩士で柳生新陰流の剣術家。名は至信、号は竹斎。
岩国の桂六左衛門、萩の柳生新陰流指南内藤作兵衛、筑後久留米藩の加藤田平八郎に学ぶ。後、藩主吉川経幹の世子芳之助(吉川経健)の守役に選ばれる。慶応2年(1866年)11月、南部五竹とともに建尚隊を組織、その参謀となる。戊辰戦争では建尚隊を率い北越に戦う。
明治26年(1893年)9月2日没。