福武哲彦
福武 哲彦(ふくたけ てつひこ、1915年 - 1986年4月26日)は、福武書店(後のベネッセコーポレーション)の創業者、教師[1][2]。
生涯
[編集]岡山師範学校卒業後、教職に就く。1935年、岡山県上房郡大和村立大和尋常高等小学校(現加賀郡吉備中央町立大和小学校)に教師として赴任。当時20歳であった。
その後県職員を経て、1949年(昭和24年)岡山市内に問題集などを取り扱う出版社株式会社富士出版を設立[1]。会社は1954年(昭和29年)7月20日に倒産する[1]。
その後福武書店として、生徒手帳の印刷と年賀状の手本集を印刷し、富士出版時代の借金を返済。
1955年(昭和30年)1月28日、資本金50万円、社員6人で福武書店を株式会社化して再スタートした[1]。
1963年(昭和43年)、いわゆる通信教育である通信添削『進研ゼミ』高校講座を始めた[1]。その後対象を小中学校に拡大、全国模擬試験を手掛けるなど、『福武書店』を総合教育情報出版会社として成長させた[1]。1974年(昭和49年)、旧赤坂高等尋常小学校本館校舎を移設・保存する際には資金を提供した。1986年には進研ゼミは会員数100万人となり、通信添削業界のトップ企業となった[1]。学術図書や絵本、雑誌など多方面の出版にも業務を拡大した[1]。
美術品の収集が趣味で、20世紀前半にアメリカで活躍した国吉康雄の代表作百数点やルノワール、シャガールなどの名作を収集し[1]、福武コレクションと呼ばれた[1]。
1986年4月26日、社内で執務中に倒れ、急性心不全のため岡山市の榊原十全病院で死去。享年70[1]。福武書店は長男の福武總一郎が継承した[3]。