福田耕
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福田 耕(ふくだ たがやす、1888年(明治21年)12月15日[1] - 1970年(昭和45年)2月7日[2])は、大正から昭和期の官僚、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]福井県[2]今立郡吉谷村[3](片上村[4]を経て現鯖江市)で福田助右衛門の長男として生まれる[5]。1921年(大正10年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した[2][3][4][5]。
東京市主事に就任し電気局、道路局で勤務[2][3]。日本無線電信 (株) に転じ、対欧建設事務所副長、建設課長、工務課長を歴任[2][3]。1934年(昭和9年)岡田内閣の内閣総理大臣秘書官に就任[2][3]。1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙で福井県全県区から無所属で出馬して当選し[2][3]、衆議院議員に1期在任した[2]。 その後、華中電気通信社長、日本タイプライター社長、大和紙業社長を務めた[2][3][5]。
戦後、国際電信電話専務取締役、畑中繊維工業会長、福井放送取締役などに在任した[2][3]。