福西清
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福西 清(ふくにし きよし、1897年9月26日 - 1967年12月25日)は、阪神電気鉄道社長。奈良県出身[1]。
来歴・人物
[編集]広島高等師範学校卒業後は、一時教職を務めるが、九州帝国大学法文学部に入学し、1929年に卒業し、阪神電気鉄道に入社した[2][1]。
主に電灯、電力部門の営業を担当していたが、1942年4月に同部門が関西配電に譲渡されたのを機に同社に移籍し、1944年に阪神に復帰した[1]。その後は、庶務部、取締役、常務取締役を歴任し、1957年に阪神百貨店の専務取締役に就任した[2]。
1960年5月に阪神に戻り、副社長を経て、1967年11月18日に社長に就任したが、同年12月25日に脳出血のために在職中のままに死去[1][3]。70歳没。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第23版 下』人事興信所、1967年。
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