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禹熙昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

禹 熙昌(ウ・ヒチャン、朝鮮語: 우희창1926年5月18日 - 1997年5月31日)は、大韓民国政治家。初代忠清南道議会朝鮮語版議員[1]、第4・5代韓国国会議員を歴任した[2]本貫丹陽禹氏[3]

経歴

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日本統治時代の忠清南道舒川郡出身。京畿公立中学校(現・京畿高等学校)卒、高麗大学校法大政治科3年修了(または卒業)。1958年の第4代総選挙でわずか30代で舒川郡選挙区から国会議員に初当選したほか、忠清南道議会議員、民主党舒川郡党委員長・忠清南道党委員長・中央委員・中央常任委員・政策委員、民主党の張勉内閣の外務部国防部政務次官を歴任した。しかし、5・16軍事クーデター以後は政界を離れて隠居生活を送ったが、その後は韓国観光協会副会長を務めた[2][4][5]

1997年5月31日、持病によりソウル市道峰区の病院で死去。享年71[5][6]

脚注

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  1. ^ 역대의원검색 > 의원광장 > 충청남도의회”. 2024年9月30日閲覧。
  2. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年9月30日閲覧。
  3. ^ (48)단양 우씨(丹陽禹氏)-162,479명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月11日). 2024年9月30日閲覧。
  4. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年9月30日閲覧。
  5. ^ a b 前(전)국회의원 禹熙昌(우희창)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1997年6月1日). 2024年9月30日閲覧。
  6. ^ 前(전)국회의원 禹熙昌(우희창)씨”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1997年6月1日). 2024年9月30日閲覧。