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秋元寿恵夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

秋元 寿恵夫(秋元 壽惠夫、あきもと すえお、1908年3月13日 - 1994年2月4日)は、医師著作家。筆名室田 有[1]

経歴

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長野県長野市生まれ[1]。一家は旧諏訪藩士の家系。精神医学秋元波留夫は実兄。旧制東京府立第五中学旧制第一高等学校卒業後、東京帝国大学医学部医学科血清学を専攻し、1938年卒業、1943年大学院博士課程修了、医学博士。同年満州国平房関東軍防疫給水部本部(731部隊)に加わった[1]

戦後は東京民主医療機関連合会結成に参加[2]1949年臨床検査法の確立と検査技師の教育・育成を目的とする秋元研究所(1952年より病体生理研究所)を開設[2]。長尾研究所、神奈川保健所勤務を経て、1959年3月-1966年3月横浜市衛生研究所長、1966年4月-1984年5月病体生理研究所長、1967年1月新日本臨床検査技師学校長。この間、1966年新日本医師協会会長、東京保健会理事長などを務めた[1][3]

戦後医学研究者の道を捨て、医学教育に携わり臨床検査技師の地位向上に努めた。医の倫理、科学者の倫理を唱え続け[1]原水爆禁止運動にも参加した[2]。731部隊参加について幹部研究者としては唯一反省を公に表明、「命令に逆らったり解剖をしなかったりしたら、教授に破門されるか軍法会議にかけられる。だからやむを得ず行った」、しかし「あの時に抵抗すべきだった」と述べた[4]

著書

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  • 『生きた反應 血清學史の一斷面』柏葉書院 1943
  • レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖手稿 デラナトミア集輯A及びBの研究』和敬書店 1947
  • 『ぼくらは自然をどう見るか』誠文堂新光社(子供の科学文庫) 1948
  • 『近代醫學の道』世界評論社 新世代叢書 1949
  • 『医学概論 病むとはいかなることか』河出書房 学芸新書 1952
  • 『細菌とたたかった人々』さ・え・ら書房 さ・え・ら伝記ライブラリー 1965
  • 『ウイルスの謎』ポプラ・ブックス ポプラ社 1971年
  • 『人間・野口英世 医学につくした努力の生涯』偕成社 少年少女世界のノンフィクション 1971、のち文庫
  • 『自然を返せ、人間を返せ』偕成社 1974
  • 『医の倫理を問う 第731部隊での体験から』勁草書房 1983

翻訳

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脚注

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  1. ^ a b c d e 秋元 寿恵夫 アキモト スエオ 20世紀日本人名事典
  2. ^ a b c 「日本精神衛生会 秋元波留夫会長があいさつ」『みんいれんTOKYO』2003年11月5日号、東京民主医療機関連合会
  3. ^ 秋元寿恵夫 あきもと-すえお デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  4. ^ 「医学犯罪、今どう考える…? 731部隊の“闇”を振り返る」『メディウイング』第38号、2007年、全日本民主医療機関連合会

参考文献

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