秋尾園
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秋尾 園(あきお その、文久3年(1863年) - 1929年(昭和4年)11月5日)は明治時代の洋画家。工部美術学校女子生徒6人の1人。写真師中島待乳と結婚し、幻灯機製作に携わった。
生涯
[編集]文久3年(1863年)沼田藩士秋尾利義とマツの三女として生まれた[1]。1873年(明治6年)父利義は陸軍士官学校で馬術を教えたが、同僚に洋画家川上冬崖・小山正太郎がおり、ここで洋画と接点を持ったと思われる[2]。また、浮世絵を学んだ形跡もあり[1]、フェリス女学校で英語を学んだこともあった[2]。
1876年(明治9年)12月14日工部美術学校に女子入学規定ができると間もなく入学し、幾何学・遠近法・飾画(かざりえ)・論理影法・模写・写生等を学んだ[1]。他の女子生徒には山下りん、神中糸子、大鳥雛、山室政、川路花がいたが、園は最年少で、1877年(明治10年)の「画学生進歩表」では第二級の成績を収めている[1]。
1880年(明治13年)写真師中島待乳と結婚し、退学した[1]。結婚後は待乳の幻灯機製造を助け、彩色・下絵の製作に従事した[1]。晩年は牛込区弁天町に住み、1929年(昭和4年)11月5日死去し、多磨霊園に葬られた[2]。戒名は順福院勧善玅貞日園大姉[2]。
親族
[編集]- 父:秋尾利義 - 沼田藩士、幕府陸軍馬術指南役、帝国陸軍馬術教官[1]。
- 母:マツ[1]
- 養子・甥:勲 – 新六の次男[2]。戦時中陸軍工兵大尉として航空写真に従事し[2]。シベリア抑留、自衛隊勤務を経て、事業を始めるも失敗し、1956年(昭和31年)家蔵品を散佚させた[1]。