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秋山静太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋山 静太郎
生誕 1887年11月20日
日本の旗 日本 岡山県
死没 (1951-06-20) 1951年6月20日(63歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1908年 - 1936年
最終階級 陸軍少将
配偶者 ツネ子、依田四郎陸軍少将妹[1]
子女 好弘(長男)[1]、好久(二男)[1]
除隊後 日本鉄屑統制常務取締役、企画院嘱託[1]
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秋山 静太郎(あきやま しずたろう[2]1887年明治20年)11月20日[3] - 1951年昭和26年)6月20日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等従四位勲三等[1]

経歴

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1887年(明治20年)に岡山県で生まれた[3]陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第29期卒業[3]。フランス駐在を経て[2]1931年(昭和6年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍技術本部附となった[2]1932年(昭和7年)4月11日第12師団司令部附となり長崎医科大学に配属されたが[2]5月30日に配属を解かれて第12師団司令部附となった[4]。同年8月8日長崎要塞司令官に就任し[3]1936年(昭和11年)8月1日に陸軍少将に進級して待命となり[2][3]8月28日予備役に編入された[3]

予備役編入後の1938年(昭和13年)、日本鉄屑統制常務取締役に就任し[1]企画院嘱託、商工省物資使用委員、戦時物資活用協会理事を兼任した[1]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 人事興信所 1941, ア75頁.
  2. ^ a b c d e 外山 1981, 256頁.
  3. ^ a b c d e f g 福川 2001, 20頁.
  4. ^ 『官報』第1623号、「叙任及辞令」1932年5月31日。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。

参考文献 

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3430443