秋水鏡
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秋 水鏡 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 추수경 |
漢字: | 秋 水鏡 |
秋 水鏡(朝鮮語: 추수경、1530年 - 1600年)は、明代の武将。文禄・慶長の役の明軍の提督李如松に次ぐ副将軍。本貫は秋渓秋氏[1]、全州秋氏の中始祖。
中国貴州省出身。1591年に武康刺史に任官。日本軍が李氏朝鮮へ侵攻すると、万暦帝の王命を受け、秋蘆と秋荻の2人の息子と5000人の兵士を率いて鴨緑江を渡河して参戦。その後、3男秋菊と4男秋芝5男秋蘭も参戦する。1593年2月、秋水鏡は、郭山において金應瑞将軍とともに日本軍を破り、開城と漢陽を奪還。
李氏朝鮮から功績をたたえられ、完山府院君と扈聖功臣に封ぜられる。秋水鏡の子孫一族が全州秋氏である。
脚注
[編集]- ^ “추수경(秋水鏡) 장군 묘역 성역화 준공” (朝鮮語). n.news.naver.com (2004年11月5日). 2022年5月31日閲覧。
参考文献
[編集]- “추수경(秋水鏡)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年10月24日時点におけるアーカイブ。
- “추수경 秋水鏡,1530~1600”. 斗山世界大百科事典. オリジナルの2022年11月28日時点におけるアーカイブ。