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秋永力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋永 力
生誕 1894年11月20日
日本の旗 日本 福岡県
死没 (1978-12-26) 1978年12月26日(84歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1916 - 1945
最終階級 陸軍中将
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秋永 力(あきなが つとむ[1]1894年明治27年)11月20日[2] - 1978年昭和53年)12月26日[2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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福岡県出身[1][2]1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業[3]。同年12月、歩兵少尉に任官[3]1926年(大正15年)12月7日、陸軍大学校(38期)を卒業し[1][2]第4師団参謀に発令された[4]

1937年(昭和12年)10月、第6師団作戦主任参謀となり日中戦争に出征[1][2]南京攻略戦武漢作戦などを転戦[2]1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進し、同年12月、張鼓峰事件後に歩兵第75連隊長に就任[1][2]1940年(昭和15年)3月、第13師団参謀長となり太平洋戦争を迎えた[1][2]

1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級[1]1942年(昭和17年)8月、第57歩兵団長となり満州に赴任[1][2]1943年(昭和18年)9月、第17軍参謀長に転任[1][2]ブーゲンビル島の戦いに参戦[2]1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み、同年4月、第6師団長に親補され、米軍とブーゲンビル島で戦闘を交える中で終戦を迎えた[1][2]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』392頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本陸軍将官辞典』19-20頁。
  3. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』388、392頁。
  4. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、579頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。