秋田丸 (2代)
秋田丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨物船/貨客船 |
船籍 | 日本(1952 - 1977) |
所有者 |
日本郵船(1952 - 1972)[1] 神原汽船(1972 - 1977)[1] |
運用者 |
日本郵船(1952 - 1972)[1] 神原汽船(1972 - 1977)[1] |
建造所 | 三菱日本重工業横浜造船所 |
姉妹船 | 赤城丸 |
船級 |
NK・AB(秋田丸) JG・NK(トロピカルレインボー) |
IMO番号 | 5007144 |
改名 | トロピカルレインボー(1973-1977) |
経歴 | |
起工 | 1951年12月26日[2] |
進水 | 1952年7月18日[2] |
竣工 | 1952年9月10日[2] |
就航 |
1952年(秋田丸) 1973年7月1日(トロピカルレインボー)[3] |
運航終了 | 1974年10月(トロピカルレインボー)[4] |
最後 | 1977年台湾で解体[1] |
要目 | |
総トン数 |
7,599トン(竣工時)[2] 8,841トン(改造後)[3] |
載貨重量 |
10,123kt(竣工時) 7,296kt(改造後)[3] |
全長 | 150.5 m[3] |
登録長 |
140.0 m(竣工時) 139.7 m(改造後)[3] |
幅 | 19.0 m[3] |
深さ | 10.5 m[3] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 横浜MAN D8Z 72/125型 1基[2] |
最大出力 | 9,507馬力[2] |
定格出力 | 8,500馬力[2] |
最大速力 | 19.4ノット(竣工時)[3] |
航海速力 |
16.0ノット(竣工時) 16.7ノット(改造後)[3] |
旅客定員 |
9名(竣工時)[2] 250名(改造後)[3] |
乗組員 |
53名(竣工時)[2] 69名(改造後)[3] |
秋田丸(あきたまる)は、日本郵船の貨物船。後に神原汽船にて貨客船「トロピカルレインボー」として運航された。
概要
[編集]1952年に三菱日本重工業横浜造船所にて建造[2]、「赤城丸」の同型船(A型貨物船[4])で三島型の船型とし[5]、ベール梱包で14,956立米・穀類ばら積みで16,219立米の貨物槽容量を備え[2]、日本 - オーストラリア間の航路などで運航された[6]。
その後1972年に神原汽船に売却され一般貨物船として用いた後1973年から貨客船「トロピカルレインボー」として運航[1]。1977年にクウェートに売却され「AL LOULOUAH」に改名、その後1980年に台湾・高雄で解体[1]。
トロピカルレインボー
[編集]神原汽船が子会社によるニューギニア開発事業に関連する形で日本 - ニューギニア間の貨客船航路の開設に向けて常石造船にて[3]、約3億円をかけて本船を改造[7]。「トロピカルレインボー」に改称し1973年7月1日より[3]、横浜 - グアム - ラバウル - ラエ - マダン - グアム - 大阪 - 名古屋 - 横浜間の航路に就航[7]。
航路は当初往路で横浜からグアムまで5日間、グアムで1日停泊した後ラバウルまで計9日間、ニューギニアではラバウルに3日間・ラエに1日・マダンに2日停泊の後[7]、復路については大阪までの客扱いとし[8]、20日に再度グアムに寄港の後大阪まで24日間を要し、その後大阪に3日間停泊し28日に出港、29日に名古屋へ寄港、30日に横浜に戻る形とした[7]。また後にニューギニアの経路についてはマダン・ラエ・ラバウル・マダンの順で寄港する形に変更されている[9]。
就航当時は日本の船会社による唯一の外国への旅客航路であり、ラバウル戦線などで戦死した日本兵の遺族などに良く利用され、第2船として日本郵船「赤城丸」を改装し「トロピカルスター」として就航させる計画もあったものの、スタビライザーがなく旧式の機関で速力が遅く、船内はパブリックスペースが狭く客室の居住性も悪いといった問題点が多く定員250名に対し平均乗船客数は80名程度に留まり、1974年10月1日横浜港発の第14次航海をもって撤退となった[4]。
船内
[編集]前方の3箇所と中央の機関室後方の貨物槽を残しその他を旅客室に転用し、船楼甲板と船尾楼甲板を連続させDデッキとするなど増築による客室の増加、船尾にプールや遊歩広場を設けるといった改造が施された。特等室以上は専用の浴室・便所・洗面所を設けた。
- Bデッキ[3]
- 貴賓室(2名×4室 ツインベッド)
- 新婚室(2名×2室 二段ベッド)
- 病室
- Cデッキ[3]
- 新婚室(2名×3室)
- 特等室(2名×8室 二段ベッド)
- 薬局
- 屋外広場
- ゲームルーム
- プール(9m×5m、深さ1.5m)
- Dデッキ[3]
- 大食堂(128席)・ダンスホール・スナックカウンター
- バー「ニューギニア」
- 茶室「無心庵」・日本庭園
- 理容室
- 美容室
- 売店
- 図書室
- 貨物ハッチ
- Eデッキ[3]
- 1等室(4名×35室 二段ベッド、洗面所付き)
- サウナ
- 隔離室
- 監禁室
- 浴室
- Fデッキ[3]
- 2等室(4名×16室・6名×2室 二段ベッド)
- 浴室
出典
[編集]- ^ a b c d e f g 秋田丸(2) - 日本郵船船舶100年史(海人社)365頁
- ^ a b c d e f g h i j k 七次後期船秋田丸(日本郵船) - 船の科学1952年10月号
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 常石造船株式会社造船設計部「貨客船トロピカルレインボー改造について」 - 船の科学1973年10月号
- ^ a b c トロピカル・レインボーの南太平洋航路が休止 - 世界の艦船1974年12月号(海人社)
- ^ わが国における最近の高速貨物船について - 船の科学1956年2月号
- ^ 付表II国別航路別就航定期船腹比較表 アジア州大洋州相互航路 - 日本郵船調査部「世界定期船会社その企業分析と航路経営」(七洋社 1959年)463頁
- ^ a b c d ニュースフラッシュ 神原汽船の日本~グアム~ニューギニア定期航路貨客船トロピカル·レインボー"が処女航海へ - 世界の艦船1973年8月号
- ^ 戦後初の南太平洋定期貨客船"トロピカル・レインボー" - 船の科学1973年9月号
- ^ TROPICAL ISLAND LINE BY KAMBARA KISEN SEE JAPAN BY JAPANESE BOAT - Pacific islands monthly November 1974 pp.85 - TROVE(オーストラリア国立図書館)