秦公春
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時代 | 平安時代末期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 仁平2年1月19日(1152年2月26日) |
官位 | 左近衛府生 |
主君 |
近衛天皇 藤原頼長 |
氏族 | 泰忌寸 |
父母 | 父:秦武則 |
子 | 助安、信光 |
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秦 公春(はた の きみはる)は、平安時代末期の官人。秦武則の子。官職は左近衛府生。左大臣藤原頼長の随身で、頼長の男色の相手として知られる。
天養2年(1145年)、国貞という召使を殺害した犯人が赦免されたことに怒った頼長は、公春に命じて犯人を密かに殺害させた。また公春は糖尿病を患っており、頼長はたびたび平癒祈願の仏事を行っている。しかし甲斐なく公春が死去すると、頼長は3ヶ月にわたって公事を休み、その評判を落とした。
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