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淑妃秦氏(しゅくひ しんし、1550年代 ? - 1592年以前)は、明の隆慶帝の側室。
庶民の秦奉の娘に生まれた。容貌が美しかったので、隆慶4年(1570年)2月に淑妃となった。父の秦奉は正五品錦衣衛千戸に任じられた。隆慶5年(1571年)7月、第7皇女・朱堯㜢(棲霞公主)を産んだ。しかし翌年、隆慶帝は崩去した。同年9月、棲霞公主も夭折した。万暦21年(1592年)以前[1]、淑妃は死去した。端静と諡され、金山に葬られた。
- ^ 秦氏の墓は万暦21年には既に金山にあった。