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秦淑妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

淑妃秦氏(しゅくひ しんし、1550年代 ? - 1592年以前)は、隆慶帝の側室。

経歴

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庶民の秦奉の娘に生まれた。容貌が美しかったので、隆慶4年(1570年)2月に淑妃となった。父の秦奉は正五品錦衣衛千戸に任じられた。隆慶5年(1571年)7月、第7皇女・朱堯㜢(棲霞公主)を産んだ。しかし翌年、隆慶帝は崩去した。同年9月、棲霞公主も夭折した。万暦21年(1592年)以前[1]、淑妃は死去した。端静とされ、金山に葬られた。

伝記資料

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  • 『明穆宗実録』
  • 『皇明棲霞公主墓志銘』

脚注

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  1. ^ 秦氏の墓は万暦21年には既に金山にあった。