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秦神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秦神社

境内
所在地 高知県高知市長浜857-イ
位置 北緯33度30分5.38秒 東経133度32分35.64秒 / 北緯33.5014944度 東経133.5432333度 / 33.5014944; 133.5432333 (秦神社)座標: 北緯33度30分5.38秒 東経133度32分35.64秒 / 北緯33.5014944度 東経133.5432333度 / 33.5014944; 133.5432333 (秦神社)
主祭神 長宗我部元親公之霊
神体 長宗我部元親木像
社格県社
創建 明治4年(1871年4月7日
本殿の様式 流造
例祭 7月20日(夏祭)
11月13日(例祭)
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秦神社(はだじんじゃ)は、高知県高知市にある神社旧社格県社

概要

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長宗我部元親の菩提寺である雪蹊寺廃仏毀釈により明治3年(1870年)に廃寺となった。このため元親の弟の子孫である島弥九郎与助らが高知藩庁に創建を請願し、旧雪蹊寺本堂跡に明治4年(1871年4月7日(新暦5月25日)に建立された[1]

社名は、長宗我部氏が中国王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称したことによる。長宗我部氏の子孫にあたる島弥九郎などが中心となり、雪蹊寺にあった衣冠束帯姿の長宗我部元親木像を神体として安置した[2]。また、戸次川の戦いで戦死した長宗我部兵の霊璽板(大位牌)も祀った。

昭和18年(1943年)8月に県社に列した。社格廃止後の昭和27年(1952年)宗教法人となった。

祭神

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長宗我部元親画像(重要文化財)
主神
配神
  • 秦家累代の霊
  • 家臣忠死者

摂末社

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  • 西宮神社
  • 竈戸神社(大年御祖神)
  • 鎮八幡宮
  • 祖霊舎(氏子先祖宮)
  • 若宮霊廟秦分祠

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 絹本著色長宗我部元親像 - 桃山時代、昭和43年4月25日指定 [3]。神社建立時に雪蹊寺より移された。高知県立歴史民俗資料館に委託保管[4]

高知県保護有形文化財

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長宗我部元親像のレプリカ
  • 木造長宗我部元親坐像 - 平成13年3月27日指定[5][2]
  • 長宗我部信親公忠死御供之衆鑑板 - 平成13年3月27日指定[6]

周辺

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脚注

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参考文献

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  • 高知県高等学校教育研究会歴史部会 編『高知県の歴史散歩』山川出版社、2006年、70頁。 
  • 平田卓也、砂本文彦「廃仏毀釈による寺院の転用について : 高知藩内の四国霊場を事例として」(PDF)『日本建築学会計画系論文集』第78巻第692号、日本建築学会、2013年10月、2213-2221頁、ISSN 13404210