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種里城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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種里城
青森県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 大浦氏
築城年 1491年延徳3年)
主な城主 大浦光信
遺構 曲輪
指定文化財 国の史跡(「津軽氏城跡」の一部として)
再建造物 なし
位置 北緯40度42分16秒 東経140度9分58秒 / 北緯40.70444度 東経140.16611度 / 40.70444; 140.16611座標: 北緯40度42分16秒 東経140度9分58秒 / 北緯40.70444度 東経140.16611度 / 40.70444; 140.16611
地図
種里城の位置(青森県内)
種里城
種里城
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種里城(たねさとじょう)は、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町種里町にあった日本の城山城)。国の史跡に指定されている(史跡「津軽氏城跡」のうち)[1][2]

概要

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種里城は、津軽氏発祥の地として知られている[3]。城は、赤石川の上流、種里集落の西南約500メートルに位置し、前面は赤石川、背後は大柳沢山嶺をひかえた、東向きの山城である。本丸跡の西南に光信公御霊墓があり、御廟館とも言われている。また、近くに殉死した奈良主水貞親の墓がある[4]

2002年(平成14年)に弘前城跡や堀越城跡とともに「津軽氏城跡」として国史跡に指定された[5]。また周辺は津軽白神県立自然公園に飛地で指定されている[6]

歴史

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1491年(延徳3年)、大浦光信によって築城された。1502年(文亀2年)、光信は大浦城を築き、子の大浦盛信を置いた。光信死後は大浦城が大浦氏の本拠となり、種里城は支城として江戸時代初めまで使われた[2]。その後種里城は津軽氏の聖地として保存されたが、明治時代に入って遺構は破壊された[7]

1988年、跡地に資料館「光信公の館」が建設されることに伴い発掘調査が行われ、その後種里城跡の解明を目的とした学術調査が、1991年から1997年まで続けられた[8]

画像

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出典

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  1. ^ 津軽氏城跡」『弘前市公式サイト』、弘前市http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni29.html2018年11月11日閲覧 
  2. ^ a b 種里城跡とは」『津軽藩発祥の地 国史跡 種里城跡』、鰺ヶ沢町・鰺ヶ沢町教育委員会http://www.town.ajigasawa.lg.jp/tanesato/01.html2017年2月8日閲覧 
  3. ^ 鰺ヶ沢[町]」『世界大百科事典』、日立ソリューションズ・クリエイトhttps://kotobank.jp/word/%E7%A8%AE%E9%87%8C%E5%9F%8E-1801062017年2月8日閲覧 
  4. ^ 周辺の史跡」『津軽藩発祥の地 国史跡 種里城跡』、鰺ヶ沢町・鰺ヶ沢町教育委員会http://www.town.ajigasawa.lg.jp/tanesato/04.html2017年2月8日閲覧 
  5. ^ 城跡”. 青森県. 2024年12月1日閲覧。
  6. ^ 津軽白神県立自然公園”. 青森県. 2024年12月1日閲覧。
  7. ^ たねさとじょう【種里城】」『日本の城がわかる事典』、講談社https://kotobank.jp/word/%E7%A8%AE%E9%87%8C%E5%9F%8E-1801062017年2月8日閲覧 
  8. ^ 発掘調査」『津軽藩発祥の地 国史跡 種里城跡』、鰺ヶ沢町・鰺ヶ沢町教育委員会http://www.town.ajigasawa.lg.jp/tanesato/02.html2017年2月8日閲覧 

関連文献

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  • 中田書矢「種里城 (特集 城郭の研究)」『月刊考古学ジャーナル』第493号、ニュー・サイエンス社、15-18頁、2002年10月。ISSN 04541634NAID 40005425978 
  • 佐々木浩一「青森県中・近世遺跡の景観―小沢館・境関館・浜通遺跡・十三湊遺跡・種里城」『青森県史研究』第5号、青森県、2000年11月。ISSN 13427431NAID 40005164794 

関連項目

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