稲川直衛
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稲川 直衛 | |
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生誕 |
1886年12月27日 日本 新潟県 |
死没 | 1949年3月28日(62歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1907年 - 1941年 1944年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
稲川 直衛(いながわ なおえ、1886年(明治19年)12月27日[1] - 1949年(昭和24年)3月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1886年(明治19年)に新潟県で生まれた[1]。陸軍士官学校第19期卒業[1]。1930年(昭和10年)5月に歩兵第78連隊国境守備隊長に就任し[2]、1936年(昭和11年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に高知連隊区司令官に着任[2]。1939年(昭和14年)3月9日に留守第11師団司令部附となり[2]、8月1日に陸軍少将に進級した[2]。
1940年(昭和15年)3月に独立混成第7旅団長に就任した[1]。1941年(昭和16年)3月1日に北部軍司令部附となり[1]、4月28日に待命[1]、4月30日に予備役に編入された[1]。その後召集され第11軍司令部附を経て[3]、1944年(昭和19年)4月11日に西部軍司令部附となり[3]、7月14日に第42警備司令官に就任した[1]。1945年(昭和20年)2月22日に光州師管区兵務部長に転じ[1]、3月31日に旭川師管区兵務部長に就任した[4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。